メニューの多いカフェで、さんざん迷った挙句、結局いつものカフェラテを頼む。転職しようか、この人と付き合い続けようか、という大きな話になると、今度は何日も何週間も答えが出せない。そのたびに「自分は優柔不断だ」「決断力がない」と、少し自分が嫌になる。

でも、決められないことは本当に「意志の弱さ」なのだろうか。選択について調べてきた研究をたどると、どうもそうではないらしい。決断のしにくさは、選ぶという行為そのものが持つ負荷や、「どこまで最善を求めるか」という人ごとの違いと結びついている——この記事では、その研究を出典付きで整理していく。

選択肢が多いほど選べなくなる、は本当か

決断の話でよく持ち出されるのが、IyengarとLepper(2000)の実験だ。彼らは高級スーパーの試食コーナーで、並べるジャムの数を6種類と24種類で入れ替えてみた。

結果は、ちょっと意外だった。24種類のときのほうが多くの人が足を止めたのに、実際に買ったのは6種類のときのほうがはるかに多かったのだ。似た傾向は、チョコレートを選ぶ実験でも、任意の小論文課題に取り組むかどうかの実験でも見られた。選択肢が少ないほうがむしろ人は選び、選んだあとの満足度も高かったという(Iyengar & Lepper, 2000)。この「選択肢が多すぎるとかえって選べなくなる」現象は、選択過多(choice overload)と呼ばれる。

たしかに、と言いたくなる。あの巨大なカフェのメニューを思い出せば。——ただ、ここで足を止めたい。この現象は、本当にいつでも誰にでも起きるのだろうか。

「選択過多」は、研究者のあいだでも決着していない

選択過多は一気に有名になった。けれどその後の検証では、「思ったほど頑健ではない」ことも見えてきた。ここは正直に書いておきたい。

Scheibehenne、Greifeneder、Todd(2010)は、選択過多を扱った50の実験(63条件・計5,036人)を集めてメタ分析にかけた。すると、選択肢の多さが選択を妨げる効果は、平均するとほぼゼロだった。研究によって効果の出方はばらばらで、選択過多が「常に起きる」とは言えなかったのだ(Scheibehenne et al., 2010)。

一方、Chernev、Böckenholt、Goodman(2015)は99の観測(計7,202人)を再分析し、条件を切り分ければ選択過多は確かに起きると結論づけた。効果が強まる要因として、彼らは選択課題の難しさ・選択肢の複雑さ・自分の好みの不確かさ・「とにかく決めたい」という目標の弱さの4つを挙げている(Chernev et al., 2015)。

二つのメタ分析が食い違っているわけだが、私はこの食い違い方こそが実感に近いと思う。「選択肢が多ければ必ず選べなくなる」わけではない。でも、選ぶのが難しくて、自分の好みもはっきりしないときには、多さがずしりと重くのしかかる。決められなかったときの自分を思い返すと、たいていこの条件がそろっていた。

「最高」を求める人ほど、満足しにくい

選択過多が効くかどうかには、人による差もある。その個人差をいちばんうまく捉えたのが、Schwartzら(2002)の研究だ。

彼らは「選ぶとき、どこまで最善を求めるか」を測るマキシマイズ傾向尺度(Maximization Scale)を作った。この値が高い人をマキシマイザー(最大化する人)、低い人をサティスファイサー(そこそこで満足する人)と呼ぶ。マキシマイザーは、あらゆる選択肢を調べ尽くして「いちばん良いもの」を選ぼうとする。サティスファイサーは「自分の基準を満たせば、それでよし」と決める。

7つのサンプルを分析すると、マキシマイズ傾向が高い人ほど、幸福感・楽観性・自尊心・人生満足度が低く、抑うつ・完璧主義・後悔が高いという相関が出た(Schwartz et al., 2002)。同じ研究の別の分析では、マキシマイザーは買い物の決定に満足しにくく、他人と自分をくらべやすいことも示されている。

家電を一つ買うのに、レビューを何十件も読み、比較サイトを何ページもめくり、それでもまだ「もっといいのがある気がする」と決めきれない——身に覚えがある人は少なくないはずだ。ただ念のため言い添えておくと、これは「あなたはマキシマイザーです」と診断する話ではない。マキシマイズ傾向は良し悪しではなく、ビッグファイブ(性格特性5因子モデル)のように、人を二分するのではなく程度の違いとして見る選び方のクセにすぎない。

なぜ「ベスト」を追うと、かえって苦しくなるのか

マキシマイザーは、時間をかけて選ぶぶん、客観的には良い選択をしていることもある。Schwartzら(2002)も、マキシマイズ傾向は客観的にはより良い決定結果と結びつく一方で、その決定に対する主観的な評価はかえって否定的になりやすい、と整理している。うまく選べているのに、満たされない。なぜだろう。

鍵は、後悔(regret)と社会的比較にあるという(Schwartz et al., 2002)。「もっと良い選択肢があったかもしれない」と考え続ければ、どんな決定にも影が差す。選んだあとも他人の選択と見くらべれば、満足はじりじり目減りしていく。買った瞬間はうれしかったのに、翌日には友人の持っている型番のほうが良く見えてくる、あの感じだ。

ここから先は解釈になるが、私はこの研究から一つ、線を引けると思っている。「高い基準を持つこと」そのものと、「際限なく探し続ける行動」は、分けて考えられる、ということだ。良いものを求める気持ちは自然だし、悪いものでもない。苦しさを生みやすいのは、基準の高さより、「もっと良いものがあるはず」と探索を止められないほうのクセなのかもしれない。自分を責める気持ちが強いときは、完璧主義を手放して楽になる考え方もあわせて読んでみてほしい。

決断できなさは「個人差」であって、欠陥ではない

ここまでを並べると、一つの見方が浮かんでくる。決断のしにくさは、選ぶという行為の負荷(選択過多)と、どこまで最善を求めるかという個人差(マキシマイズ傾向)が重なったところに生まれる、というものだ。

情報を深く、細部まで処理する人は、一つの選択肢についても検討する材料が多くなりがちだ。これは感覚処理感受性の研究で言われる「処理の深さ」とも通じる話だが、決断の遅さと感受性を直結させる確かな証拠がそろっているわけではない。だからここは断定せずに置いておく。ただ少なくとも、深く考えること自体は弱みではない。それが決断の場面では、時間や迷いという形で表に出てくることがある、というだけだ。

だから、決められなさを「自分の性格の欠陥」として抱え込む必要はないと思う。それは、選び方の個人差の、一つの現れなのだから。決めたあとに引きずってしまいがちなら、嫌なことを引きずるときの立ち直り方も参考になるはずだ。

研究をふまえた、選ぶときのヒント

ここからは、研究の知見と、私が実際にやってみて割とよかったことを重ねて挙げる。あくまで一例として。

  • 「そこそこで良い」基準を先に決めておく:サティスファイサーの発想だ。「この条件を満たせば選ぶ」と決めておくと、探索を止めやすくなる(Schwartz et al., 2002)
  • 選択肢を自分から絞る:好みがはっきりしない難しい選択ほど、多さが重荷になりやすい(Chernev et al., 2015)。最初に3つくらいに絞ってから比べると、ぐっと楽になる
  • 決めたあとは、見くらべをやめる:後悔と社会的比較が満足を削る(Schwartz et al., 2002)。買ったあとに他の型番のレビューを開かない。これだけで気分がだいぶ違う
  • 小さな決断で練習する:ランチや日用品など、外しても痛くない場面で「そこそこで決める」練習を重ねると、大きな決断にも効いてくる
  • 迷う自分を責めない:決断のしにくさは個人差であって、人格の欠陥ではない

決めること自体を先送りしてしまいがちなら、先延ばし癖が起きる理由もあわせてどうぞ。

生活に支障が出ているときは、抱え込まないで

決められないことで日常生活や仕事に大きな支障が出ている、決断のたびに強い不安や動悸がある、気分の落ち込みが続いている——そんな状態が長く続くなら、「自分の優柔不断のせい」と一人で抱え込まないでほしい。

決断の困難の背景に、不安や抑うつ、あるいは強迫的な傾向が関わっていることもある。マキシマイズ傾向と抑うつの相関が報告されているように(Schwartz et al., 2002)、決められなさとメンタルの状態は無関係ではない。判断は自己診断ではなく専門家に委ねるのが安全だ。心療内科・精神科やカウンセリングに相談する選択肢があるし、働く人であれば厚生労働省のこころの耳で相談窓口の情報を調べられる。

よくある質問(FAQ)

決断できないのは意志が弱いからですか?

研究はそう捉えていません。決断のしにくさは、選択という行為が持つ負荷(選択過多)や、「どこまで最善を求めるか」という個人差(マキシマイズ傾向)と結びついているとされます(Iyengar & Lepper, 2000/Schwartz et al., 2002)。「意志の強さ」という一言で片づけられる現象ではありません。

選択肢は少ないほうがいいのですか?

いつでもそうとは限りません。選択過多を扱った50実験のメタ分析では、選択肢の多さが選択を妨げる効果は平均するとほぼゼロでした(Scheibehenne et al., 2010)。一方で、選ぶのが難しく好みがはっきりしないときには、多さが重荷になりやすいとも報告されています(Chernev et al., 2015)。場面によって変わる、と考えるのが正確です。

マキシマイザーとサティスファイサーの違いは何ですか?

「いちばん良いもの」を求めて探し尽くそうとするのがマキシマイザー、「自分の基準を満たせば、それでよし」と決めるのがサティスファイサーです(Schwartz et al., 2002)。これは優劣ではなく選び方の個人差で、程度の違いとして捉えられています。

良いものを求めるのは悪いことですか?

いいえ。研究で満足度の低さと結びついていたのはマキシマイズ傾向であって、高い基準を持つこと自体が悪いわけではありません。苦しさを生みやすいのは基準の高さそのものより、「もっと良いものがあるはず」と探索を止められないほうのクセだと私は考えています。

決断力を鍛えることはできますか?

ここで紹介した研究は「決断力の訓練法」を検証したものではないので、断定はできません。ただ、あらかじめ「そこそこで良い」基準を決める、選択肢を自分から絞る、決めたあとに見くらべない、といった工夫は、研究が示す選択過多や後悔の仕組みと筋が通っています。小さな決断から試してみる価値はあるはずです。

まとめ

決断できないことは、意志の弱さでも、性格の欠陥でもない。研究が示してきたのは、選択そのものが状況によって重荷になりうること(Iyengar & Lepper, 2000/Chernev et al., 2015)、そして「最高」を求める人ほど客観的には良い選択をしても主観的には満たされにくいこと(Schwartz et al., 2002)だ。しかも選択過多は「常に起きる」わけでもない(Scheibehenne et al., 2010)。

迷ってしまうのは、あなたが深く考える人だからでもある。だとしたら、まず自分に「そこそこで良い」と言ってあげるところから始めたい。いちばん良いものを選び損ねる怖さより、選んだものを気に入る力のほうを、少しずつ育てていけばいい。