友人が泣きながら話すのを聞いていて、気づけば自分のほうが翌日まで胸が重い。相手の愚痴に相槌を打っていたはずが、帰り道でどっと疲れが出て、しばらく誰とも話したくなくなる。私はこういう「もらいすぎ」を何度もやってきた。「共感力が高いね」と言われるたびに、褒められているはずなのに、どこか居心地が悪かった。優しさというより、勝手にスイッチが入って止められない反応に近いからだ。
「共感力が高い」とは、そもそも何を指しているのか。研究をたどると、共感は一枚岩の能力ではなく、複数の側面をもつ多次元的な概念として扱われている。ここでは共感研究を出典付きで整理しながら、その強さと疲れやすさのつながり、そしてネットでよく見る「エンパス」との距離まで見ていく。
「共感力が高い」を研究はどう捉えているか
共感(エンパシー)と一口に言っても、研究では単一の意味で使われていない。心理学者のCuffらが共感の定義を整理したレビュー(2016年)では、過去の文献に43もの異なる定義が存在し、単一の合意された定義がないことが報告されている(Cuff, Brown, Taylor & Howat, 2016)。43というのは、正直ちょっと笑ってしまう数だ。それだけこの言葉が、人によってまるで違うものを指して使われてきたということでもある。
そのなかで広く使われるのが、共感を大きく二つの側面に分ける枠組みだ。
- 認知的共感:相手の考えや気持ちを「頭で理解する」働き。相手の立場に立って推し量る力
- 情動的共感:相手の感情に「自分の感情が共鳴する」働き。相手の悲しみに胸が痛む、といった反応
「共感力が高い」と言うとき、この二つのどちらを指しているかは、実は人によって違う。相手の意図を読むのがうまい人もいれば、相手の感情をそのまま浴びて揺さぶられやすい人もいる。同じ「共感力が高い」でも、中身はまるで別物になりうる。用語の整理は用語辞典の共感(エンパシー)の項目にもまとめてある。
認知と情動は、脳でも部分的に異なる
この二つの側面は、概念として分かれているだけではないらしい。脳の働き方の面でも違いがあると示唆されている。Koglerら(2020)は、共感に関する多数の脳画像研究をまとめたメタ分析で、認知的共感と情動的共感が、脳の正中構造に沿って部分的に異なる活動パターンと関連する可能性を報告した。認知的共感では前部の背内側前頭領域などが、情動的共感では後部の領域や下前頭回などが関与すると整理されている(Kogler et al., 2020)。
もちろん、これは複数の研究をまとめた「傾向」であって、二つが完全に別々の回路だと断定するものではない。それでも、「共感には少なくとも複数の側面があり、それらは同じではない」ことを裏づける材料にはなる。「理解する」共感と「感じる」共感が、いつもセットで強いわけではない——腑に落ちる話だと思う。頭ではよく分かるのに感情はぴくりとも動かない人もいれば、その逆の私のような人間もいるのだから。
感じやすさが強い人は、他者の感情に強く反応する
「相手の感情をそのまま受け取ってしまう」という感覚には、感じやすさ(感受性)の個人差も関わっていそうだ。Acevedoら(2014)は、感覚処理感受性(SPS:受け取った情報を深く処理しやすい傾向)の得点が高い人ほど、他者の感情表現を見たときに、気づき・共感・情報の統合に関わるとされる脳領域の活動が高まる傾向をfMRI研究で報告した(Acevedo et al., 2014)。
ただし、これは比較的少人数を対象にした単一の研究であり、「感受性が高い人の脳はこうなっている」と断定できる段階ではない。あくまで「そうした関連を示唆する報告がある」くらいに受け止めておきたい。感受性そのものについては感受性が強いとは何かを研究から整理した記事にまとめている。
「共感力が高い=優れている」わけではない
共感力が高いことは、よく「優しさ」や「人格の良さ」と地続きに語られる。でも研究の枠組みから見ると、共感は優劣で測る単一のものさしではない。認知的共感と情動的共感のバランスは人によって違い、どちらかが強いこと自体に、良い・悪いはない。
むしろ、情動的な共鳴が強い人は、相手の感情に巻き込まれて自分が消耗しやすい。冒頭の私のように、聞いていただけなのに翌日まで引きずる、というやつだ。だから「共感力が高い=いつでも得」ではない。強く感じ取るぶん、疲れやすさにもつながる。得も損もある、両面のある特性なのだと思う。受け取りすぎて疲れてしまうときの整え方は共感疲れと境界線の引き方を整理した記事にまとめた。
とはいえ、これは傾向の整理であって、「共感力が高い人は必ず疲れやすい」という話ではない。認知的共感が得意で、情動的にはあまり巻き込まれないタイプの人もいる。
「エンパス」という言葉との距離
ネット上では「エンパス(empath)」という言葉で、他人の感情を超常的なまでに感じ取る特別な気質として語られることがある。けれど、「エンパス」は学術用語ではない。感覚処理感受性や情動的共感の研究と、そのまま同じものとして扱えるわけでもない。
「自分はエンパスだから」と特別なラベルで自分を固定するより、「自分は情動的に共鳴しやすいほうだ」と程度で捉えるほうが、研究の実情には近い。ラベルは分かりやすいぶん、逃げ場をなくすこともある。刺激を求める側面もあわせもつHSS型の気質など、感受性まわりの多様さはHSS型HSP(刺激追求型)の特徴を整理した記事も参考になる。
つらさが続くときは、抱え込まないで
人の感情に巻き込まれて疲れやすいこと自体は、多くの人が程度差で持つ個人差であり、病気ではない。とはいえ、他人の感情を受け取りすぎて気分の落ち込みが続く、人と会うのがつらい、眠れない——そうした状態が長く続くなら、一人で抱え込まないでほしい。
気分の落ち込みや強い不安が日常生活に支障をきたしているときは、心療内科・精神科やカウンセリングなど専門家に相談する選択肢がある。厚生労働省のこころの耳では、働く人向けの相談窓口の情報も見られる。
よくある質問(FAQ)
共感力が高いのは生まれつきですか?
はっきりとは分かっていません。共感には気質的な要素と、育つ環境や経験の両方が関わると考えられており、「すべて生まれつきで決まる」と単純に言えるものではありません。生まれつきかどうかを気にするより、自分の共感のクセを知って付き合うほうが、実際には役に立つと思います。
認知的共感と情動的共感、どちらが大切ですか?
どちらが上ということはありません。相手を理解する認知的共感と、感情に寄り添う情動的共感は役割が異なり、状況によって求められるものが違います。研究でも両者は別の側面として扱われています(Kogler et al., 2020)。
共感力が高いと必ず疲れやすいですか?
一概には言えません。情動的な共鳴が強い場合は消耗しやすい面がありますが、認知的共感が中心で情動的にはあまり巻き込まれない人もいます。「共感力が高い=疲れやすい」と単純に結びつけるのは正確ではありません。
「エンパス」と「共感力が高い」は同じ意味ですか?
「エンパス」は学術用語ではなく、研究上の共感(認知的共感・情動的共感)や感覚処理感受性と同一視できるものではありません。特別な気質のラベルとしてではなく、共感の程度差として捉えるのが現実的です。
まとめ
「共感力が高い」とは、研究の観点からは、認知的共感(頭で理解する)と情動的共感(感情で共鳴する)という複数の側面をもつ多次元的な特性だ(Cuff et al., 2016)。単純な優劣で測れるものではなく、強く感じ取るぶん疲れやすさにもつながる、両面のある個人差でもある。
「自分は共感しやすいほうだ」と程度で受けとめ、消耗しそうなときは境界線を意識して自分を守る。もらいすぎて翌日まで胸が重くなる私が、研究をたどってようやくたどり着いたのは、そういう付き合い方だった。