「HSPって病気なんですか」と聞かれたことがある。聞いた人は真剣で、たぶん半分は「病気だと言ってほしい」気持ちだった。名前がつけば、通院できる。休む理由になる。周りにも説明できる。
答えから書くと、研究の側の扱いははっきりしている。HSPは診断のための概念として作られていない。ただ、この答えは思ったほど冷たくないし、思ったほど安心でもない。両方の意味で。

「病気かどうか」を決める土俵に、そもそも乗っていない
日本で感受性の研究を続けている飯村周平氏は、SYNODOSのインタビュー(2023年)で、HSPは「心理学に基づく概念であって、発達障害や精神疾患のような診断のための概念ではありません」と明言している。だから「『HSPだ』と診断したり、治療したりするというのはおかしな話なのです」とも述べている。
同じインタビューで、氏は感受性を「良くも悪くも影響を受けやすい」というニュートラルな特性として説明し、「感受性が高い(低い)からいい(悪い)ということではない」と言っている。
ここは読み飛ばされやすいが、大事なところだと思う。病気かどうかという問いは、正常と異常の線をどこに引くかという話だ。感受性の研究は、その線を引くために作られていない。高いか低いかの目盛りであって、健康か病気かの判定器ではない。
一方で氏は、HSPブームの問題点として、根拠に乏しい情報発信や、専門性の不確かなカウンセラーによる高額セミナー、「HSP外来」を掲げるクリニックで科学的根拠のない治療がすすめられていること、マルチ商法やカルト団体の参入まで挙げている。「病気ではない」という事実がいちばん実務的に効くのは、たぶんここだ。治すという触れ込みでお金が動く場面で。
もとの研究は、何を測ろうとしていたのか
そもそもの出発点を見ておきたい。
Aron夫妻が1997年に『Journal of Personality and Social Psychology』へ発表した論文は、多様なサンプルと指標を用いた7つの研究からなる。ここで提出されたのが27項目のHighly Sensitive Person Scale(HSP尺度)で、論文は感覚処理感受性を一次元の中核変数として扱っている。
この論文が力を入れて示したのは、感受性が社会的内向性や情動性から部分的に独立していることだった。それまでの理論では、この特徴が内向性や情緒不安定さに混ぜられたり、その一部として片づけられたりしてきた。そこを分けたことが、当時の貢献だ。
つまり最初から、これは疾患を切り出す研究ではなく、既存の性格特性の地図に一本の軸を足す研究だった。感覚処理感受性という用語がややこしいのは承知のうえで、この記事で研究用語を使い続けるのはそのためだ。
「HSPかどうか」の線は、データの上ではぼやけている
「自分はHSPなのか」という問いには、もう一段の落とし穴がある。研究のデータが、そういう白黒に向いていない。
Lionettiたちが2018年に『Translational Psychiatry』へ発表した研究は、米ストーニーブルック大学の心理学専攻の学部生906人(分析対象は5名を除いた901人)を対象に、感受性の分布に潜在的なグループがあるかを調べた。サンプルを無作為に2つ(451人と450人)へ割って、同じ構造が両方で再現されるかも確かめている。見つかったのは3群だった。全体での割合は、低感受性(たんぽぽ)30.52%、中感受性(チューリップ)40.29%、高感受性(らん)29.19%。
3つに割れた、と聞くと「やはり種類があるのか」と読みたくなる。ところが著者らの結論はそうではない。論文は「環境感受性は連続的で正規分布する特性であるが、人々は感受性の連続体上で3つの異なる感受性グループに分かれることを、知見は示唆している」と書いている。3群は感受性の程度で分かれるのであって、感受性を構成する下位成分の混ざり方が違うのではない、とも明記されている。種類が違うのではなく、位置が違うわけだ。
数字の扱いには二つ注意がいる。ひとつは、この論文の抄録に載っている概数(らん31%・たんぽぽ29%)が、本文の表の値と高低が入れ替わっていること。ここでは表の値を採った。もうひとつは、対象が大学の心理学専攻の学部生であること。人口全体の比率として読める種類の数字ではない。よく引かれる「5人に1人」との食い違いを含め、この手の割合の来歴についてはHSPとは何かで扱った。
なお同じ論文には英クイーン・メアリー大学の学部生230人という別サンプルも登場するが、こちらは3群の存在を確かめるためではなく、見つかった群がどんな特徴を持つか(ビッグファイブとの関係や、動画で気分を誘導したときの反応)を調べるために使われている。
ここから先は私の受け取り方だが、この「連続体の上の3群」という描像は、日常の感覚とよく合う。同じ職場の同じ会議で、しんどさの度合いは人によって明らかに違う。でも「しんどい人」と「平気な人」の二種類がいるわけではなく、間に山ほどグラデーションがある。線が引けないことは、違いが無いことを意味しない。
「弱さ」ではなく「影響の受けやすさ」
では感受性が高いこと自体は、悪いことなのか。ここで参照したいのが、Grevenたちが2019年に『Neuroscience & Biobehavioral Reviews』へ発表した批判的レビューだ。
このレビューは感覚処理感受性を「ありふれた、遺伝性のある、進化的に保存された特性」と位置づけ、環境に対する感受性の個人差を示すものとして扱っている。そのうえで、メンタルヘルスとの関係を一方向では描かない。否定的な環境ではストレス関連の問題のリスクを高めるが、同時に、肯定的で支持的な経験からより大きな恩恵を受ける——そう記述している。
リスクだけを見ると「弱い体質」に見える。恩恵の側を足すと、話の形が変わる。同じ受けやすさが、どちらにも効いている。
ただしこのレビューは、手放しの擁護でもない。研究上の課題として、感受性のより信頼できる客観的な測定法と、他の特性と区別するためのメカニズムのより深い理解が必要だと指摘している。今の研究の多くは自己申告の質問紙に依存していて、判定に使える確立した検査があるわけではない。そのうえで今後の研究が目指すべき方向として、感受性に伴う悪影響の予防と、ウェルビーイングやメンタルヘルスを高めるためのポジティブな潜在力の活用を挙げている。
まだ道具が固まりきっていない研究領域というのが、率直なところだと思う。
「病気ではない」は「大丈夫」ではない
ここが、この記事でいちばん書きたかったところだ。
「HSPは病気ではありません」で話を終えると、困る人が出る。眠れない、朝起きられない、動悸がする、人と会うのが怖い——そういう具体的なつらさを抱えて検索した人にとって、「気質だから」は説明であって対処ではない。
そして厄介なのは、「HSPだから」という説明が、他の説明を閉じてしまうことだ。感受性の高さで説明がついた気になると、そこで探すのをやめる。うつ、不安症、睡眠障害、貧血や甲状腺の問題、発達特性——手の打ちようがある状態は、けっこうな数ある。私自身、疲れやすさを長いこと性格の一部だと思っていた時期があって、あれは単に調べていなかっただけだった(疲れやすい体質は生まれつきかでこの話は詳しく書いた)。
Grevenたちのレビューが言うとおり、感受性の高さは否定的な環境でストレス関連の問題のリスクを高める。リスクが高いという話は、症状が出たときに「気質だから仕方ない」と流していい理由にはならない。むしろ逆だ。
眠れない日が続く、気分の落ち込みが2週間以上続く、仕事や家事が手につかない、体の症状が改善しない。そういうときは、性格の問題として抱え込まず、心療内科や精神科、あるいは職場の産業医や相談窓口へ相談してほしい。厚生労働省のこころの耳には、働く人向けの相談窓口(電話・SNS・メール)や、こころの病気についての解説がまとまっている。人前での不安が中心にある場合は、社交不安という枠組みも押さえておくと話が早い。
診断名がつくことは、負けではない。名前がつくと使える手が増える、というだけの話だ。
よくある質問(FAQ)
HSPは病気や障害なのですか?
研究の側の扱いとしては違います。飯村周平氏はSYNODOSのインタビューで、HSPは「心理学に基づく概念であって、発達障害や精神疾患のような診断のための概念ではありません」と述べ、HSPだと診断したり治療したりすることを「おかしな話」だと批判しています。研究論文の側でも、Grevenたちの2019年のレビューは感覚処理感受性を疾患としてではなく「ありふれた、遺伝性のある、進化的に保存された特性」として扱っています。ただし「病気ではない」ことと「つらさが放っておいていい」ことは別です。具体的な症状が続く場合は医療機関へ相談してください。
病院に行けばHSPと診断してもらえますか?
そもそも診断のための概念として作られていないため、そういう性質のものではありません。Grevenたちのレビューは、この領域の課題として、より信頼できる客観的な感受性の測定法と、他の特性と区別するためのメカニズムの理解が必要だと指摘しています。現在の研究は主に自己申告の質問紙に依拠していて、検査で判定するものではありません。一方で、受診して意味があるのは別の理由です。眠れない、気分が落ち込む、動悸がするといった症状には、対処法のある原因が隠れていることがあります。「HSPかどうか」ではなく「いま起きている症状」を持って行くのが実際的だと思います。
チェックリストで高得点だったら、高感受性ということですか?
得点の高低は目盛りの位置を示しますが、カテゴリーの判定ではありません。Lionettiたちが米ストーニーブルック大学の学部生906人(分析対象901人)を調べた結果では、低感受性30.52%、中感受性40.29%、高感受性29.19%の3群が見つかりましたが、著者らは「環境感受性は連続的で正規分布する特性である」と結論し、3群は連続体の上にあって感受性の程度が違うのだと明記しています。この割合自体も学生サンプルに基づくもので、人口全体の比率ではありません。線を越えたか越えないかで自分を分類するより、自分にとって何が負担かを具体的に把握するほうが、たぶん役に立ちます。
感受性が高いのは治したほうがいいのでしょうか?
そもそも治す対象として扱われていません。飯村氏は感受性を「良くも悪くも影響を受けやすい」ニュートラルな特性とし、高い・低いで良し悪しが決まるものではないと述べています。Grevenたちのレビューも、否定的な環境ではストレス関連の問題のリスクが高まる一方で、肯定的で支持的な経験からはより大きな恩恵を受けると記述しています。もし「HSPを治療します」という触れ込みのサービスに出会ったら、飯村氏がブームの弊害として、科学的根拠のない治療や高額セミナーによる商業化を名指ししていることを思い出してください。
内向的なことや不安の強さと、どう違うのですか?
もともとの研究がまさにそこを分けようとしています。Aron夫妻が1997年に発表した論文は、7つの研究を通じて、感覚処理感受性が社会的内向性や情動性から部分的に独立していることを示しました。それ以前の理論では、この特徴が内向性や情緒不安定さと混同されたり、その一部として扱われたりしていたためです。ただし「部分的に独立」であって、無関係という意味ではありません。重なる部分はあります。消耗しやすさの話はHSPが疲れやすい原因でも扱いました。
冒頭の質問に、私は当時うまく答えられなかった。「病気じゃないよ」とだけ言って、相手が少しがっかりしたのを覚えている。いま同じことを聞かれたら、順番を変えると思う。名前がほしいのは、休む理由がほしいからで、それは正当な要求だ。ただ、その名前はHSPでなくてもいい。眠れないなら眠れないと言えばいいし、それを聞く場所はちゃんとある。