感情労働という言葉を最初に知ったとき、正直、少し救われた気がした。体力も使っていないし、難しい判断をしたわけでもないのに、接客の一日が終わると芯から疲れている。あの疲れに名前があるらしい、と。効果のほどはさておき、名前がつくだけで「怠けているわけではないらしい」と思えたのを覚えている。
ただ、この言葉はいま、かなり広い意味で使われている。人に気をつかう仕事はぜんぶ感情労働、というくらいの粒度で。研究のほうはもう少し細かく切っていて、そこを見ると「何がしんどいのか」の輪郭が変わる。

この言葉は、客室乗務員と集金人の観察から出てきた
感情労働(emotional labor)という概念を世に出したのは、社会学者のArlie Russell Hochschildが1983年に発表した『The Managed Heart: Commercialization of Human Feeling』だ。出版元のカリフォルニア大学出版局の紹介によれば、この本は客室乗務員と集金人という二つの職業の事例研究を通して、賃金と引き換えに感情が管理される働き方を論じている。
この二つの並べ方が、私にはずっと面白い。同書の議論としてよく引かれるのは、片方が温かさを、もう片方が威圧を求められるという対比だ。表に出すよう求められる感情の中身は正反対なのに、どちらも自分の感情を職務の要求に合わせて作り替えている。つまり感情労働の核は、感じよくすることではなく、感じ方を仕事の規則に合わせることのほうにある。
初版は1983年で、現在は第3版(2012年)が出ている。40年以上前の本が版を重ねているのは、それだけこの働き方が減っていないということでもある。
研究は、感情労働を三つの要素に分けている
ここが日常語との一番大きな差だと思う。研究側は「感情労働」をひとかたまりにせず、少なくとも三つに分けて測っている。
感情規則の不協和(emotion-rule dissonance)は、実際に感じている感情と、表に出すよう求められている感情がズレている状態そのものを指す。腹が立っているのに、笑顔でいなければならない、というあの状態だ。
表層演技(surface acting)は、内側の感情はそのままに、表情や声だけを求められた形に合わせること。ズレを抱えたまま外側を整える。
深層演技(deep acting)は、表に出す感情のほうに内側を寄せていくこと。「この人にも事情があるのだろう」と考え直して、実際に少し腹立ちを収める、というような。
日常語の感情労働は、この三つをまとめて呼んでいる。けれど後で見るように、三つは結果のほうがかなり違う。
メタ分析が示したのは、コストの偏りだった
HülshegerとScheweが2011年に『Journal of Occupational Health Psychology』誌に発表したメタ分析は、この分野の三十年分の研究を統合したものだ。95の独立した研究から得られた494の相関を使っている。
結果は、三つの要素で明確に分かれた。
| 要素 | well-beingの悪化との関係 | 仕事への態度との関係 |
|---|---|---|
| 感情規則の不協和・表層演技 | ρ = .39〜.48(実質的な関係) | ρ = −.24〜−.40 |
| 深層演技 | 弱い | 弱い |
感情規則の不協和と表層演技は、well-beingの悪化を示す指標との間にρ .39〜.48という実質的な大きさの関係を示した。仕事への態度(職務満足など)とはρ −.24〜−.40。さらに遂行成果との間にも小さな負の関係(ρ −.20〜−.05)があった。
一方の深層演技は、well-beingの悪化とも仕事への態度とも弱い関係しか示さず、代わりに感情面の遂行と顧客満足に対しては正の関係(ρ .18 と .37)を示している。
同論文はまた、感情規則の不協和とwell-beingの関係を表層演技が部分的に媒介する、という感情労働の理論モデルを支持する媒介分析の結果も報告している。ズレがあること自体と、ズレたまま外側を取り繕うこと。この二つは連なっていて、後者が前者のダメージを通す通り道になっている、という読み方だ。
ただし、これは相関の統合である
ここは強調しておきたい。メタ分析といっても、統合されたのは主に横断的な相関だ。表層演技が消耗を引き起こしたと示したものではない。すでに消耗している人ほど表層演技に頼らざるをえない、という向きの説明も、この数字だけでは排除できない。
そのうえで、ρ .39〜.48という大きさは、心理学の職場研究では小さくない。「笑顔でいるのが疲れるのは気のせい」と言われたときに、それを気のせいでない側に置く材料にはなると思っている。
日本の統計では、どれくらいの人が関係しているのか
厚生労働省の令和6年「労働安全衛生調査(実態調査)」を見ると、現在の仕事や職業生活に関することで強い不安・悩み・ストレスとなっていると感じる事柄がある労働者は68.3%だった。
その内訳(主なもの3つ以内。上位の項目を抜粋)はこうなっている。割合の分母は労働者全体ではなく、「事柄がある」と答えた労働者を100としたものだ。
| ストレスの内容 | 割合 |
|---|---|
| 仕事の量 | 43.2% |
| 仕事の失敗、責任の発生等 | 36.2% |
| 仕事の質 | 26.4% |
| 対人関係(セクハラ・パワハラを含む) | 26.1% |
| 会社の将来性 | 22.2% |
| 顧客、取引先等からのクレーム | 20.7% |
「顧客、取引先等からのクレーム」が20.7%。この項目は感情労働そのものを測ったものではないけれど、感情規則の不協和が最も濃く発生する場面と重なっている。強いストレスを感じる事柄があると答えた人のうち、五人に一人がそこを主なストレス源の一つに挙げていることになる。労働者全体に直せば、およそ14%だ。
なお、前年(令和5年)の同じ項目は26.6%で、「事柄がある」労働者の割合も82.7%だった。数字だけ見ると減っているように見えるが、調査自身が令和6年に設問の形式を変更しており、数値の比較には留意が必要だと注記している。減ったと読むべきではない。
「演じ方を変えれば楽になる」と言えるのか
メタ分析の結果を素直に読むと、表層演技より深層演技のほうが分がいい。だから深層演技に切り替えよう——という助言は、実際よく見かける。
これについては、慎重に扱いたい。まず、比較されているのは演技の種類であって、感情労働の量ではない。表層演技のコストが高いことは、深層演技が無料であることを意味しない。深層演技も、自分の感情のほうを動かす作業であり、その負荷は測られている変数の外側にある可能性がある。
そのうえで、介入研究がひとつある。Hülshegerらが2013年に『Journal of Applied Psychology』誌に発表した研究だ。研究1は219名の従業員を対象にした5日間の日誌法で、マインドフルネスが情緒的消耗と負に、職務満足と正に関係し、その両方を表層演技が媒介していた。研究2は64名を無作為にマインドフルネスの自己トレーニング群と統制群に割り付けた現場実験で、介入群のほうが情緒的消耗が有意に少なく職務満足が高かった。消耗への効果は表層演技によって媒介されていた、と報告されている。
無作為割り付けなので因果の推論には一歩踏み込める。ただし64名の単一研究だ。ここから「マインドフルネスをやれば感情労働の疲れは解決する」と読むのは行き過ぎになる。技法そのものの整理はマインドフルネスにまとめてある。
ここから先は私の見方だが、この手の話がしんどいのは、効きうる方法があること自体ではなく、それが「じゃあ君の側で何とかできるね」に翻訳されやすいことだと思う。クレーム対応の設計も、休憩の取り方も、そもそも一人で何人の客を見るのかも、たいてい自分では決められない。個人の技法は、条件のひどさを帳消しにする道具ではない。
感じやすさとの関係は、まだ整理の途中
「共感力が高い人ほど感情労働に向いている/向いていない」という説明もよく見る。ただ、上で見たメタ分析は感情労働のやり方と結果の関係を扱ったもので、どんな人がどう影響を受けやすいかを人の特性から比較したものではない。ここを混ぜてしまうと、研究が言っていないことを言わせることになる。
共感という概念自体が一枚岩ではないことは共感力が高いとは? 研究が示す「共感」の多面性と疲れやすさで整理した。また、接客の適性を外向性から語る通説がどこまで持つのかについては人見知りは接客業に意外と向いてる? 研究が崩す「外向性の神話」で扱っている。
消耗が続いているなら
ここまでは概念の整理だった。でも、この記事を読んでいる理由が「いま毎日しんどい」なら、優先順位は別のところにある。
仕事に関連した慢性的な消耗は、燃え尽きとして別に記述されている。定義と、原因をどこに置くかの議論は燃え尽き症候群とは何か——WHOの定義と「原因の在りか」を読むにまとめた。
眠れない、食欲がない、朝起き上がれない、気分の落ち込みが二週間以上続いている。そうした状態が重なっているなら、演技の種類を工夫するより先に医療機関に相談してほしい。この記事のどの数字も、目の前の不調が何によるものかを判定する材料にはならない。
働く人向けの公的な相談窓口は、厚生労働省のこころの耳にまとまっている。電話相談(0120-565-455)は平日17時〜22時、土日10時〜16時(祝日・年末年始を除く。受付は終了10分前まで)。気分の落ち込みが強いときや自分を傷つける考えが浮かぶときは「こころの健康相談統一ダイヤル」(0570-064-556)から、かけた場所の公的な相談機関につながる。つながらない時間帯には24時間受け付けの「よりそいホットライン」(0120-279-338)を。いますぐ危険がある場合は119番へ。
そして、感情規則の厳しさが職場の構造から来ていて、動く見込みがないとき。置き場所を変えるという道もある。進め方は内向型の転職サイト・エージェント完全ガイドに書いた。
よくある質問(FAQ)
感情労働とはどういう意味ですか?
社会学者のArlie Russell Hochschildが1983年の著書『The Managed Heart』で提示した概念で、賃金と引き換えに自分の感情を職務の要求に合わせて管理する働き方を指します。同書は客室乗務員と集金人の事例研究を扱っており、議論としてよく引かれるのは、片方が温かさを、もう片方が威圧を求められるという対比です。表に出す感情の中身は正反対でも、感情を規則に合わせている点は共通しています。研究の文脈では、感情規則の不協和・表層演技・深層演技といった要素に分けて測定されることが多く、日常語よりも細かい単位で扱われます。
表層演技と深層演技では、しんどさが違うのですか?
HülshegerとScheweが2011年に発表したメタ分析(95研究・494の相関)では、感情規則の不協和と表層演技がwell-beingの悪化を示す指標とρ .39〜.48、仕事への態度とρ −.24〜−.40の関係を示しました。深層演技はいずれとも弱い関係にとどまり、感情面の遂行と顧客満足に対してはρ .18と.37の正の関係を示しています。統合されたのは主に相関なので、表層演技が消耗を引き起こしたと因果を言えるものではありません。すでに消耗している人ほど表層演技に頼るという向きも、この数字だけでは否定できない点は押さえておく必要があります。
日本ではどのくらいの人が対人的なストレスを抱えていますか?
厚生労働省の令和6年「労働安全衛生調査(実態調査)」では、現在の仕事や職業生活に関することで強い不安・悩み・ストレスとなっていると感じる事柄がある労働者は68.3%でした。その内訳(主なもの3つ以内、「事柄がある」労働者を100とした割合)は、仕事の量が43.2%、仕事の失敗・責任の発生等が36.2%、仕事の質が26.4%、対人関係(セクハラ・パワハラを含む)が26.1%、顧客・取引先等からのクレームが20.7%となっています。分母が労働者全体ではない点に注意が必要で、クレームを挙げた人は労働者全体ではおよそ14%にあたります。また令和6年調査は前年から設問の形式が変更されており、調査自身が数値の比較に留意を求めています。この調査は感情労働という枠組みで設計されたものでもないため、そのまま感情労働の有病率のように読むことはできません。
マインドフルネスは感情労働の疲れに効きますか?
Hülshegerらが2013年に発表した研究では、219名の従業員を対象とした5日間の日誌法と、64名を無作為に割り付けた現場実験の二つが行われました。現場実験では、マインドフルネスの自己トレーニング群のほうが統制群より情緒的消耗が有意に少なく、職務満足が高く、その効果は表層演技によって媒介されていたと報告されています。無作為割り付けである点は強みですが、64名の単一研究であり、期間も限られています。有望な結果ではあるものの、確立した治療法として扱える段階ではありません。
感受性が高い人は感情労働に向いていないのでしょうか?
ここで紹介したメタ分析は、感情労働のやり方(表層演技・深層演技など)と結果の関係を統合したものであり、どんな特性の人がより強い影響を受けるかを比較したものではありません。したがって「感受性が高い人は向いていない」という結論を、この研究から導くことはできません。適性を一つの特性から判定する見方そのものが、研究の支持を超えています。仕事選びで参考になるとすれば、人の特性より、その職場で感情規則がどれだけ厳しいか、裁量やクレーム対応の設計がどうなっているかのほうだと思います。
感情労働という言葉が広まったことには、確かに功があった。目に見えない疲れに名前がついた。
ただ、名前がついたあとに起きがちなのは、それが個人の資質の話に回収されることだ。「感情労働に強い人/弱い人」という言い方を見かけるたび、少し引っかかる。Hochschildが四十年前に書いたのは、人の性質についてではなく、感情が賃金と引き換えに管理されるようになった仕組みについてだった。そこは、まだ動かさないでおきたい。