一人で映画館に入るのは、平気だ。暗いし、始まってしまえば誰も見ていない。

一人で焼肉に行くのは、いまだに少し身構える。入口で人数を聞かれる一瞬がある。あの一瞬のために何度か行き先を変えたことが、正直、ある。

同じ「一人で楽しむ」なのに、この差は何なのか。ソロ活という言葉が広がるずっと前から、消費者行動の研究者はこの問いを扱っていた。

ためらっているのは、体験ではなく推測のほうかもしれない

Rebecca K. Ratner と Rebecca W. Hamilton が2015年に Journal of Consumer Research に発表した研究は、まさにここを扱っている。タイトルは「Inhibited from Bowling Alone」——一人でボウリングすることを、私たちは抑制されている。

論文が示したのは、人は快楽的な活動を一人でおこなうことにためらいを感じやすく、その活動が他者から見られる場合にとくにそうなる、ということだった。一人で映画に行くような「快楽的かつ公的な」活動を検討するとき、人は自分の社会的なつながりについて他者から否定的に推測されることを予期する。そしてその予期が、その活動への関心を下げる。

さらに論文は、もう一つの点を指摘している。人は、その活動の楽しさが同伴者の有無にどれだけ左右されるかを、過大評価しているようだという点だ。

そして予期を弱める手がかりを与えると、行動が変わる。活動をより実用的(utilitarian)に見えるようにする、あるいは想定される観察者の数を減らす。そうした手がかりは、同伴者なしでの公的な活動への関心を体系的に高めたと論文は報告している。

私の焼肉の話に当てはめると、身構えているのは肉ではなく、入口の視線への予期のほうだ。そして「実用的に見せる」——たとえば仕事の合間に手早く済ませるという体裁——が効くというのは、身に覚えがありすぎる。ランチタイムの一人焼肉なら、たぶん私は平気で入る。カフェのように「一人でいても不自然でない場所」が選ばれやすい理由も、この線で説明がつきそうだ(カフェ一人時間ガイド)。

なお、ここで引用したのは論文の要旨に書かれた結論であり、個々の実験の手続きや標本の詳細までは本記事では確認していない。読むときは、そのつもりで受け取ってほしい。

一人でいる15分に、何が起きているのか

では、ためらいを越えて実際に一人になったとき、感情はどう動くのか。

Thuy-vy T. Nguyen、Richard M. Ryan、Edward L. Deci が2018年に Personality and Social Psychology Bulletin に発表した4つの研究は、ここを実験で扱った。彼らが操作したのは、15分間、他者との関わりも電子機器も活動もない状態で座るという、かなり厳密な意味での「独り」だ。

結果は、快・不快の軸ではなく覚醒の軸で出た。論文の言葉では、独りは感情経験に対して脱活性化(deactivation)効果を持つ。つまり、覚醒度の高い感情が、ポジティブなものもネガティブなものも一緒に下がる

研究1では、15分を一人で過ごした群(n = 75)で高覚醒ポジティブ感情が2.77から2.49へ、高覚醒ネガティブ感情が1.57から1.33へ下がった。一方、研究アシスタントと会話した群(n = 39)では高覚醒ポジティブ感情は2.99のまま変わらず、ネガティブ感情も1.45から1.50とほぼ動かなかった(論文はこの群に有意な変化はなかったと述べている)。研究2(108名)では、ただ座る群と本を読む群を比べたが、脱活性化は活動の有無に依存しなかった

低覚醒側——穏やかさ(低覚醒ポジティブ感情)と、寂しさ(低覚醒ネガティブ感情)——は、どちらも上がる方向に動いた。後者の尺度には、寂しさや悲しさだけでなく、だるさ・退屈・眠気も含まれている点は先に断っておく。ただし研究2の単独の分析では、どちらも有意傾向にとどまる(p = .06 と p = .07)。論文は複数の研究を統合したメタ分析的な要約も載せていて、そこでは低覚醒ポジティブ感情の上昇(combined z = .20, p < .001)と低覚醒ネガティブ感情の上昇(combined z = .14, p < .05)がどちらも有意になっている(低覚醒側を測定したのは研究2〜4)。高覚醒側の低下(4研究の統合で z = −.34 と z = −.30、ともに p < .0001)にくらべれば、効果としては小さい。

ここが、この研究のいちばん誠実なところだと思う。独りは、気持ちを良くする装置ではない。興奮を下げる装置だ。そして下がるのは、いやな高ぶりだけではない。楽しさの側も一緒に下がる。そのうえで、穏やかさと寂しさが、控えめに、しかし一緒に上がってくる。

刺激と力の出方の関係については最適覚醒水準の考え方が参考になる。日常の覚醒が過剰になりがちな人にとって、この「下げる」働きは、たぶん求めているものに近い。休日の設計という観点からは内向型の休日、一人でどう過ごす?にも整理してある。

高ぶりが下がるとき、楽しさと寂しさは一緒に動く

「自分で選んだ」ことは、どこに効いていたのか

研究3で、条件が増える。ただ座るだけの統制群に加えて、考える内容を「ポジティブ」か「中立」かで指定される群と、どちらを考えるか自分で選べる群を組み合わせた5群構成だ。

選べた群は、統制群にくらべて高覚醒ポジティブ感情の落ち込みが有意に小さく(t(337) = 3.52, p < .001)、低覚醒ネガティブ感情の上がり方も有意に小さかった(t(337) = −2.26, p < .05)。つまり寂しさや悲しさの高まりが抑えられていた。

ただ、より大きな差を作ったのは選択のほうではなかった。ポジティブな内容を考えた群と統制群の差は t(337) = 4.52(p < .001)で、選択の効果より大きい。中立的な内容を考えた群は、統制群とどの指標でも差がなかった。一方で、選ばせなかった群と統制群の差は、高覚醒ポジティブ感情で有意傾向が出た程度で、他の指標では差がなかった。この対比は思考内容を揃えた比較なので、選択そのものにも効き目はありそうだ、と読める。ただし選択群では127名中97名がポジティブを選んでいるので、「選べたこと」と「何を考えたか」は分かちがたく絡んでいる。論文自身、ポジティブな思考または何を考えるかの選択が脱活性化を和らげた、と両方を並べて書いている。

研究4はさらに日常に近い。173人の学部生を募り、2週間にわたって毎日夕方に調査を送る日記研究をおこなった(最終的な分析対象は157人・1,808日分)。ある週は毎日15分の独りを課し、別の週は課さない。順序は群ごとに入れ替えている。参加者が独りの時間に何をしていたかを2名のコーダーが分類したところ、66%は「考えごと」(その日の計画、週末の予定、課題のリスト作り)で、次いで何もしない・横になる(14%)、呼吸や瞑想などのリラクセーション(12%)、周囲を観察する(10%)だった。なお、睡眠や食事、課題、他者とのやりとりに言及した回答は非遵守として扱われ、それが全回答の23%を占めている(除外しても結論は大きく変わらず、むしろ係数はやや大きくなったと著者らは述べている)。

主効果のモデルで、独りをおこなった日に下がったのは、高覚醒ポジティブ感情(β = −.43)、高覚醒ネガティブ感情(β = −.36)、そして活力(β = −.26)だった。論文は、それ以外の指標——ストレス、生活満足度、基本的心理欲求の充足——には独りの主効果が見られなかったと明記している。活力はエネルギーが満ちている状態を指すので、これも脱活性化の一部だという整理だ。

ここに、その独りをどれだけ自律的に選んでいたか(相対的自律性指標、RAI)を入れた別のモデルを組むと、分岐が現れる。

自律性は、高覚醒感情と活力の変化は調整しなかった。独りは、自律性の高い人にも低い人にも、等しく脱活性化をもたらす。一方で、それ以外のすべての指標では調整効果が有意だった。自律性が低い側(−1SD)では、独りの日に穏やかさが下がり(β = −.14)、寂しさが上がり(β = .09)、生活満足度と基本的心理欲求の充足も有意に下がって、ストレスは有意傾向で上がっていた。自律性が高い側(+1SD)では、そうした負の効果が見られないどころか、穏やかさが有意に上がり(β = .09)、ストレスは有意傾向で下がっていた。論文の総括は、自律性は独りの負の効果を緩衝しただけでなく、弛緩とストレスへの良い効果を高めた、というものだ。

(なお、このRAI投入モデルのほうでは、独りの主効果は高覚醒感情と活力に加えて生活満足度と欲求充足にも小さく出る。上で「それ以外に主効果なし」と書いたのは、RAIを入れない主効果モデルについての論文の記述である。)

ストレスについてだけは、慎重に読みたい。交互作用そのものは有意(β = −.08, t = −2.74, p < .01)だが、高い側・低い側それぞれの単純傾斜は p < .10 の傾向どまりだった。論文の要旨は「自ら進んで一人になることを選んだとき、独りは弛緩とストレス低減につながりうる」と書いている。その「つながりうる」の足元にあるのは、この傾向レベルの数字である。

そしてもう一つ。著者らは、独りでいたいかどうかではなく、独りの時間に何をしたいかのほうが調整要因なのではないかと考察している。研究3でポジティブな思考のほうが選択より大きな差を作っていたことを思い出すと、この見立てにはそれなりの説得力がある。

「内向的だから一人が好き」は、データではどうなるか

ここは、この記事でいちばん読み直した部分だ。

Nguyen、Netta Weinstein、Ryan が2022年に PLOS ONE に発表した2つの日記研究は、「誰が独りの時間を楽しむのか」を直接調べている。研究1は183名(7日間・1,227日分)、研究2は270名(5日間・1,150日分)で、いずれも米国の大学生が対象だ。

測ったのは二つの個人差だった。一つはビッグファイブの外向性を反転させた内向性。もう一つは自己決定理論の「特性的自律性」——自分の価値観と一致した形で行動し、外的な圧力に流されにくく、自分の内的な感覚に関心を向ける傾向だ。

そして、測る先を二つに割ったところが効いている。独りへの選好(人といるより一人でいたいか)と、独りへの自己決定的な動機づけ(理由はどうあれ一人を選ぶのではなく、その時間そのものを楽しみ、価値あるものとして経験しているか)。論文はこの二つを別物として扱う。

研究1では、内向性は選好(β = .03, p = .470)も動機づけ(β = .07, p = .220)も予測しなかった。一方、特性的自律性は動機づけを予測し(β = .14, p = .016)、選好は予測しなかった(β = −.01, p = .821)。ここまではきれいだ。

ただ、研究2はそこまできれいではない。内向性は動機づけを有意に予測した(β = .10, p = .033)。自律性も予測した(β = .11, p = .049)。そして性別と民族を統制すると、内向性(p = .052)も自律性(p = .071)も、さらに誠実性も、いずれも有意ではなくなる。論文本文が「3つの予測因子はいずれも、統制後は独りへの自己決定的な動機づけを予測しなくなった」と書いているとおりだ。

論文の要旨は「特性的自律性が一貫して自己決定的な動機づけを予測した」と結論している。著者らの総括なので尊重したいが、表の数字を並べるかぎり、研究2での内向性と自律性の差はかなり小さい。「内向性ではなく自律性だ」と読むより、内向性は、独りの時間を楽しめるかどうかを説明する主役ではなさそうだ——このくらいが、私にはちょうどいい。

一方で一貫していたのは、選好の側だった。内向性も自律性も、独りを社交より「好む」度合いは、4つの推定のいずれでも予測しなかった。ちなみに研究2で選好を有意に予測したのは協調性で、こちらは負の関連だった(β = −.18, p < .001)。

ここから先は私の受け取り方になる。「内向型だから一人が好き」という説明は、便利すぎたのかもしれない。ソロ活が上手い人がいるとしても、それが静かな性格の人だとは限らない。内向性と外向性の軸は、少なくともこの2研究では、独りの時間を価値あるものとして経験できるかどうかを安定して説明しなかった。もっとも、対象は米国の大学生に限られており、著者ら自身が年齢層や文化の一般化可能性を限界として挙げている。日本の30代・40代にそのまま当てはまるとは限らない。「一人が好き」という感覚そのものについては「一人が好き」はおかしい?にも整理してある。

ソロ活と孤独は、同じ棚に置かない

最後に、混ぜてはいけない区別について。

内閣府が令和6年12月に実施した「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査」(16歳以上2万人に配布、有効回答10,876件、有効回答率54.4%、令和7年4月公表)では、孤独感が「しばしばある・常にある」と答えた人は4.3%、「時々ある」15.4%、「たまにある」19.6% で、合計すると約4割が何らかの孤独感を報告している。一方で「ほとんどない」が40.6%、「決してない」が18.4%。年齢階級別では、20歳代と30歳代で「しばしばある・常にある」の割合が高い。

同じ調査では、孤独感が比較的高い人に対して「現在の孤独感に影響を与えたと思う出来事」を尋ねており(複数回答)、「家族との死別」24.6% に次いで「一人暮らし」が18.8% で挙がっている。

つまり、独りでいる状態は、孤独感と無関係ではない。ソロ活を勧める文脈で「一人は寂しくない」と言い切るのは、この数字に対して不誠実だと思う。Nguyen らの一連の研究でも、独りの15分では穏やかさと寂しさが揃って上がっていた。片方だけを取り出して語ることはできない。

区別できるのは、選んで入った独りの時間と、望まないまま続いている孤立だ。前者は15分で終わり、自分で終わらせられる。後者はそうではない。

もし孤独感が続いて眠れない、食欲が落ちた、日常生活に支障が出ているという状態なら、過ごし方の工夫より先に、相談窓口や医療機関を頼ってください。厚生労働省のこころの耳や、内閣府の孤独・孤立対策のページから窓口を探すことができます。

よくある質問(FAQ)

一人で外食や映画に行くのが恥ずかしいのは、なぜですか?

Ratner と Hamilton(2015、Journal of Consumer Research)は、人が快楽的な活動を一人でおこなうことにためらいを感じやすく、その活動が他者から見られる場合にとくにそうなると報告しています。一人で映画に行くような公的かつ快楽的な活動では、自分の社会的なつながりについて他者から否定的に推測されることを予期し、それが活動への関心を下げるという説明です。また同論文は、人が「楽しさが同伴者の有無にどれだけ左右されるか」を過大評価しているようだとも指摘しています。

一人の時間は、気分を良くしてくれますか?

「良くする」というより「静める」に近い結果が出ています。Nguyen、Ryan、Deci(2018、Personality and Social Psychology Bulletin)の4研究では、15分間の独りは覚醒度の高い感情を、ポジティブなものもネガティブなものも一緒に下げる脱活性化効果を示しました。穏やかさ(低覚醒ポジティブ感情)と寂しさ(低覚醒ネガティブ感情)はどちらも上がる方向に動きますが、こちらは効果が小さく、4研究を統合してはじめて有意になる水準です。また日記研究(研究4)では、独りをおこなった日に活力も下がっており、それ自体が幸福度を上げる行為とは言えません。

ソロ活を楽しめる人と楽しめない人の違いは何ですか?

Nguyen、Ryan、Deci(2018)の研究4では、その独りをどれだけ自律的に選んでいたかで結果が分かれました。ただし分かれたのは一部の指標です。高覚醒感情の低下と活力の低下は自律性の高低で変わらず、誰にでも同じように起きました。一方、それ以外の指標では調整効果が有意で、自律性が高い側では独りの日に穏やかさが上がり(β = .09)、低い側では穏やかさが下がって寂しさが上がり、生活満足度と基本的心理欲求の充足も下がっていました。なおストレスについては、交互作用は有意(p < .01)でしたが、高い側・低い側それぞれの効果は p < .10 の傾向どまりです。これらは相関的な調整効果であり、自律性を高めれば必ずそうなるという因果を示すものではありません。

内向的な人のほうが、一人の時間が好きなのですか?

Nguyen、Weinstein、Ryan(2022、PLOS ONE)の2つの日記研究(183名・270名の大学生)では、研究1で内向性は独りへの選好(β = .03, p = .470)も自己決定的な動機づけ(β = .07, p = .220)も予測しませんでした。ただし研究2では内向性が動機づけを有意に予測しており(β = .10, p = .033)、性別と民族を統制すると内向性(p = .052)も特性的自律性(p = .071)も有意でなくなります。要旨は「自律性が一貫して予測した」と結論していますが、研究2では両者の差は小さく、確実に言えるのは「内向性は主役ではなさそうだ」という程度です。なお独りを社交より好むかどうかは、内向性・自律性のどちらも予測しませんでした。対象は米国の大学生に限られており、一般化には注意が必要です。

ソロ活を増やせば、孤独感は減りますか?

そう単純ではありません。内閣府「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査(令和6年)」では、孤独感が「しばしばある・常にある」人は4.3%、「時々ある」「たまにある」を含めると約4割が孤独感を報告しており、孤独感が比較的高い人が挙げた要因には「一人暮らし」が18.8% で並んでいます。自分で選んで入る独りの時間と、望まないまま続く孤立は別のものとして扱うほうがよいと思います。孤独感が続き、睡眠や食欲、日常生活に支障が出ている場合は、相談窓口や医療機関を頼ってください。


調べ終えて、自分の焼肉の話に戻る。

入口でためらうとき、私が守っているのは自分の快適さではなく、他人の頭の中にあるかもしれない推測のほうだった。しかもその推測は、たいてい存在しない。誰も私の交友関係を採点していない。

一方で、「一人は最高だ」と言い切る気にもならない。15分座っただけで穏やかさと寂しさが両方上がる、という結果を読んでしまったからだ。あの二つは、たぶん切り離せない。静けさの手ざわりの中には、少しの寂しさが混ざっている。

だから今のところ、こう思っている。ソロ活は、寂しさを消す方法ではない。高ぶりが下がることは、誰にでも同じように起きる。分かれるのはそのあとだ。静けさのほうが残るのか、寂しさのほうが残るのか。そこに効いていたのは、自分で選べたという感覚と、その時間に何をしたかったかだった。どちらも、事前に決められることではある。