投稿してから三分おきに通知を確認して、そんな自分に嫌気がさす。承認欲求という言葉は、たいていこういう自己嫌悪とセットで使われる。強い=未熟、なくすべきもの、という前提で。
ところが研究の側をたどっていくと、その前提がほとんど支持されていないことに気づく。分かってきたのはむしろ、「認められたい」が一種類ではないこと。そして、強さよりどこに賭けているかのほうが効いてくる、という構図のほうだ。

「認められたい」は、設計に近い
出発点として引かれることが多いのが、Roy BaumeisterとMark Learyが1995年に『Psychological Bulletin』へ発表した論文だ。彼らは「所属欲求(the need to belong)」——継続的な関係のなかで頻繁かつ嫌悪的でない相互作用を求める欲求——が、人間の基本的な動機と言えるかを、当時までの実証研究を横断して検討した。
結論として挙げられているのは、人が容易に社会的な絆を形成し、既にある絆の解消に強く抵抗すること、この欲求が感情のパターンや認知の過程に広く影響すること、絆の欠如が健康・適応・幸福感に悪影響を及ぼすことなど、複数の証拠が一貫していたという整理だ。著者らはこれを「強力で、基本的で、きわめて普遍的な動機づけ」と特徴づけている。
言い換えると、人に認められたい・つながっていたいという方向性は、個人の弱さではなく、種としての標準装備に近いという見立てになる。
もちろんこれはレビュー論文であり、単一の実験が何かを証明したわけではない。ただ、その後の心理学がこの前提の上に多くを積み上げてきたことは事実だ。「承認欲求をゼロにする」は、研究の側から見るとかなり無理筋な目標に見える。
私自身、この論文の要旨を初めて読んだとき、少し肩の力が抜けた。消せないものを消そうとして失敗し続けていたのだと分かったからだ。
承認欲求は一つではない——「賞賛を得たい」と「拒否を避けたい」
日本語の「承認欲求」は、かなり大きな袋になっている。研究はここを分けにいく。
小島弥生・太田恵子・菅原健介の三氏が2003年に『性格心理学研究』へ発表した尺度研究は、承認への欲求を賞賛獲得欲求と拒否回避欲求の二つに分けて測ることを試みたものだ。前者は他者から高く評価されたい・褒められたいという方向、後者は他者から否定的に評価されるのを避けたいという方向を指す。
この論文で重要なのは、二つが独立した次元として確認されたという点だと思う。片方が高ければもう片方が低い、という関係ではない。両方高い人も、両方低い人もいる。そして評価的なフィードバックへの情緒的な反応が、それぞれの水準によって異なることも示されている。
この区別は、実感としてもかなり効く。同じ「認められたい」でも、賞賛を取りに行くときの動き方と、嫌われないように立ち回るときの動き方はまるで違う。前者は発言が増え、後者は発言が減る。会議で何も言えなかった日の自分を「承認欲求が強い」と責めるのは、たぶん名前を取り違えている。
ただし、これは自己診断のためのラベルではない。二つの得点の組み合わせで人を四タイプに分けるような読み方は、この尺度の使い方から外れる。連続量として測られた個人差であって、区分ではない。
否定的な評価を避けたい方向が強く、それが日常生活に支障をきたすほどになる状態については、社会不安という別の枠組みが用意されている。気質としての人見知りとの違いはHSPは病気なのかでも扱った。
問題は「強さ」より「賭け先」かもしれない
もう一つ、見取り図を変えてくれる研究がある。Jennifer CrockerとConnie Wolfeが2001年に『Psychological Review』へ発表した「自尊心の随伴性(contingencies of self-worth)」の理論だ。
彼らの出発点は、自尊心の研究が「特性としての自尊心の水準」にほぼ集中してきた、という批判だった。高いか低いかばかりを測ってきたが、もっと重要なのは、その自尊心が何に基づいているかではないか、と。
理論の骨格はWilliam Jamesの古い議論に遡る。人は自らの価値を賭けた領域での成功と失敗に応じて、自尊心が普段の水準のまわりで上下する。だとすれば、どの領域に賭けているかによって、何がその人を揺らすかが決まる。
論文は、この視点によって自尊心が感情・認知・行動の自己調整、社会的な問題、抑うつとどう関わるかを理解できるとしている。
ここから先は研究というより私の受け取り方だが、この枠は「承認欲求が強い/弱い」という一次元の議論より、はるかに扱いやすい。他者からの承認に自尊心の大半を賭けていれば、他人の反応がそのまま自己評価の上下になる。仕事の成果に賭けていれば、評価面談が同じ働きをする。賭け先が一つに寄っているほど、揺れ幅は大きくなる——理論から素直に引き出せる含意はこれで、逆に言えば手を入れられるのは強さではなく配分のほうだ。
なお、これは理論的なレビュー論文であって、「賭け先を分散させれば安定する」という介入効果を実験で確かめたものではない。読み替えるときは、そこまでは言えないことを覚えておきたい。
「いいね」は、行動を静かに設計している
現代の承認欲求の話は、どうしてもSNSに行き着く。ここに、規模の大きな研究がある。
Björn Lindströmらが2021年に『Nature Communications』へ発表した研究は、複数のプラットフォームから4,000人以上・100万件を超える投稿を集め、人の投稿行動が強化学習の原理に沿うかを検証した。研究1ではInstagramの2,039ユーザー・851,946投稿、研究2では三つのフォーラムの2,127人・190,721投稿、研究3では176人を対象としたオンライン実験を行っている。
結果として報告されているのは、人は平均的に受け取る「いいね」が最大化されるように投稿の間隔を空けているという傾向だ。「いいね」が多く返ってくる時期には投稿の間隔が詰まり、少ないときには空く。Instagramのデータでは、平均の主観的報酬率が低い状態から高い状態に上がると、投稿と投稿のあいだの時間がおよそ18%——時間にして約8時間——短くなると推定されている。強化学習モデルは、Instagramユーザーのおよそ70%で帰無モデルを上回る当てはまりを示した(平均AICW 0.7、フォーラム三つでは0.77)。
さらに研究3では、フィードバックを実験的に操作している。受け取る「いいね」が少ない条件(0〜9)では、多い条件(10〜19)に比べて投稿までの間隔が10.9%長くなった。相関だけでなく、報酬を動かすと行動が動いたことになる。
著者らの結論は、ソーシャルメディア上の行動が質的にも量的にも報酬学習の原理に一致するというものだ。
これを読んだとき、私は少し居心地が悪くなった。通知を確認する回数を意志の弱さの証拠だと思っていたが、報酬系の学習として説明がつくなら、意志の話ではない。餌が出る頻度に応じて行動が変わるという、それだけのことだ。
念のため書いておくと、この研究は投稿のタイミングという行動を扱ったものだ。「いいね」が幸福感や自己評価をどう変えるかを測ったわけでも、SNSが有害だと示したわけでもない。そこは混ぜないでおきたい。
消すのではなく、置き場所を変える
三つの研究を並べると、方向が見えてくる。所属や承認を求めること自体は消せない(Baumeister & Leary)。ただし「認められたい」は少なくとも二つの成分に分かれ(小島ら)、何に自尊心を賭けているかで揺れ方が変わり(Crocker & Wolfe)、環境から返ってくる反応は行動を静かに形づくっている(Lindström ら)。
ここから先は私の実感の話になる。効いたのは、承認欲求を減らそうとするのをやめたことだった。代わりにやったのは、反応が返ってこない場所に時間を置くこと。誰にも見せない記録をつける、数字が出ない趣味を一つ持つ。賭け先が増えると、一つの結果に振り回される割合が下がる。理論から予想される方向ではあるけれど、確かめられた介入ではないので、あくまで一つのやり方として。
もう一つ。考えが止まらなくなるタイプの反芻とセットになっている場合は、承認欲求の問題として扱うより気にしすぎる性格は変えられる?で整理した枠のほうが近いかもしれない。神経症傾向という研究上の言葉と日常語の「神経質」の違いは別記事で分けた。
そして、他人の評価が気になって眠れない、人と会うのが怖い、気分の落ち込みが二週間以上続いている——そういう状態になっているなら、性格の話として抱え込まないでほしい。働く人向けの相談先は厚生労働省のこころの耳にまとまっていて、電話相談(0120-565-455)は平日17時〜22時、土日10時〜16時に受け付けている。
気分の落ち込みが強いときや自分を傷つける考えが浮かぶときは、厚生労働省の「こころの健康相談統一ダイヤル」(0570-064-556)にかけると、かけた場所の公的な相談機関につながる。ただし受付時間は自治体によって異なり、24時間のところもあれば平日日中のみのところもある。つながらない時間帯には24時間受け付けの「よりそいホットライン」(0120-279-338)がある。いますぐ危険がある場合は119番へ。心の状態についての判断は、この記事を含むどんな記事でもなく、医療者と一緒に決めてほしい。
よくある質問(FAQ)
承認欲求はなくしたほうがいいのですか?
研究の側から見ると、なくすことを前提にした議論はあまり支持されていません。BaumeisterとLearyは1995年のレビューで、継続的な関係のなかで頻繁かつ嫌悪的でない相互作用を求める「所属欲求」について、人が容易に絆を形成し解消に抵抗すること、感情や認知に広く影響すること、絆の欠如が健康や幸福感に悪影響を及ぼすことなどの証拠を横断的に検討し、「強力で、基本的で、きわめて普遍的な動機づけ」と特徴づけました。これはレビューであって単一の実験による証明ではありませんが、承認や所属を求める方向性を個人の弱さと見なす前提は、研究の描像とは合いません。
「賞賛獲得欲求」と「拒否回避欲求」はどう違うのですか?
小島弥生・太田恵子・菅原健介の三氏が2003年に『性格心理学研究』で報告した尺度研究では、承認への欲求が二つに分けられています。賞賛獲得欲求は他者から高く評価されたい・褒められたいという方向、拒否回避欲求は他者から否定的に評価されるのを避けたいという方向です。研究では両者が独立した次元として確認され、評価的なフィードバックへの情緒的反応がそれぞれの水準によって異なることも示されました。片方が高ければもう片方が低い、という関係ではありません。ただしこれは連続量として測られる個人差であり、得点の組み合わせで人をタイプ分けするための道具ではありません。
他人の評価に振り回されやすいのは自尊心が低いからですか?
「低いから」という説明だけでは足りない、というのがCrockerとWolfeが2001年に『Psychological Review』で示した視点です。彼らは自尊心研究が特性としての水準にほぼ集中してきたことを批判し、自尊心が何に基づいているか——どの領域に自らの価値を賭けているか——に注目すべきだと論じました。William Jamesの議論を引きながら、人は価値を賭けた領域での成功と失敗に応じて自尊心が上下すると整理しています。他者からの承認に多くを賭けていれば、他人の反応がそのまま自己評価の上下として効いてくる、という読み方になります。ただしこれは理論的なレビューであり、賭け先を変える介入の効果を検証したものではありません。
SNSの「いいね」が気になるのは意志が弱いからでしょうか?
意志の強さとは別の説明が可能です。Lindströmらが2021年に『Nature Communications』へ発表した研究は、4,000人以上・100万件を超える投稿を分析し、人が平均的に受け取る「いいね」が最大化されるように投稿の間隔を調整していることを報告しました。Instagramのデータでは、平均の主観的報酬率が低い状態から高い状態に上がると、投稿間隔がおよそ18%(約8時間)短くなると推定されています。フィードバックを操作した実験(176人)でも、「いいね」が少ない条件では多い条件に比べて投稿までの間隔が10.9%長くなりました。著者らは、ソーシャルメディア上の行動が質的にも量的にも報酬学習の原理に一致すると結論づけています。なおこの研究が扱ったのは投稿のタイミングという行動であり、「いいね」が幸福感や自己評価に与える影響を測ったものではありません。
承認欲求が強いと生きづらいのでしょうか?
研究は「強さ」そのものを生きづらさの指標としては扱っていません。分けられているのは方向(賞賛を得たいのか、拒否を避けたいのか)と、自尊心の賭け先です。同じ「認められたい」でも、賞賛を取りに行く動きと嫌われないように立ち回る動きでは行動の現れ方が逆になることもあります。強さの一次元で自分を評価するより、何が自分を揺らしているのかを分けて見るほうが扱いやすい、というのが研究の見取り図から引き出せる方向です。ただし、他者の評価が気になって眠れない、人と会うのが怖いといった状態が続いている場合は、性格の問題として抱え込まず医療機関や相談窓口に相談してください。
「承認欲求が強い」という言葉を、私はずいぶん長いあいだ自分への悪口として使っていた。分解してみると、そこには消せない部分と、分けられる部分と、環境が形づくっている部分が混ざっている。
全部を自分の性格の問題として引き受けるには、少し荷が重すぎたのだと思う。