洗い終わったコップを、取っ手の向きまで揃えて伏せる。誰も見ていないし、明日の朝には崩れている。それでも揃えないと落ち着かない。こういう話をすると、だいたい「神経質だね」で返ってくる。

言われた側としては、褒められている気はしない。細かい、気にしすぎ、扱いにくい——そういう含みが乗っているのが伝わる。

ただ、この一語は働きすぎていると思う。潔癖なことも、心配が絶えないことも、ミスを何日も引きずることも、換気扇の音に参ることも、まとめてここに放り込まれる。研究の側では、それらは別々に測られ、別々の結果が出ている。

揃えたくなる机の上

一語が、いくつもの別物を兼任している

「神経質」を心理学の用語に一対一で置き換える方法は、探してもたぶん見つからない。私が困った末に落ち着いた整理はこうだ。少なくとも四つが混ざっている。

負の感情の起きやすさ。不安、いらだち、落ち込みが立ちやすく、しかも引きが遅い。この領域を扱う研究上の概念が神経症傾向(neuroticism)で、ビッグファイブの一因子として測られてきた(各因子は用語辞典にまとめてある)。

きちんとしていないと気になる。皿の向き、書類の角、フォルダの命名規則。ずれていると目が勝手にそこへ行く。ただしこれは、ずれていて「不安になる」のとは別だ。私はコップを揃えるが、揃わないまま寝ても不安にはならない。

ミスや評価を引きずる。やってしまった一つが、寝る前に何度も再生される。完璧主義と呼ばれる領域に近い。

感覚の入力そのものがきつい。音、光、匂い。これは感覚処理感受性の研究が扱う話だ。ただしこの特性は、1997年にAron夫妻が提案した時点の報告でも、社会的内向性や情動性とは「部分的に」独立しているという位置づけだった。感情の起きやすさときれいに切り分けられる、というほどではない。

この四つのうち、研究の蓄積がいちばん厚いのは一つめだ。だからここから先は、主にそこを見ていく。

神経症傾向は、それ自体が一枚岩ではない

2018年、Nagelらは449,484人分のデータを使ったゲノムワイド関連解析(GWAS)のメタ分析を報告した。神経症傾向に関連する独立した遺伝子座を136か所検出し(当時124か所は新規)、599の遺伝子に行き当たっている。

面白いのは座の数ではなく、その先だ。論文は、神経症傾向の遺伝的シグナルの一部が、遺伝的に区別できる二つの下位クラスタ——「抑うつ的な感情(depressed affect)」と「心配(worry)」——に由来することを示し、個人のサブタイプによって異なる因果メカニズムがありうると述べている。

念のため書いておくが、これは集団の遺伝統計の話で、誰かを「抑うつ型」「心配型」に振り分ける道具ではない。個人がどちらかに属すると判定できる類いの結果ではない。

それでも方向としては効いてくる。四つを兼任している言葉の、そのうち最も研究が進んだ一つめの中でさえ、遺伝の側から見ると二つに割れている。束ねる言葉のほうが、実態よりずっと粗いのだ。

「生まれつき」はどこまで本当か

「神経質なのは生まれつきだから」は、慰めとしても諦めとしても使われる。数字を見てみたい。

2015年、VukasovićとBratkoは行動遺伝学の研究から62の独立した効果量(参加者10万人超)を集めてメタ分析した。遺伝率の推定値は、およそ.40。集団内の個人差の約40%が遺伝的な差に対応する、という水準だ。ただしこれは神経症傾向だけを取り出した数字ではなく、パーソナリティ特性全体をならした平均値である。

そしてこの数字は、研究デザインによって動く。双生児研究からの推定は.47、家族・養子研究からの推定は.22。同じ「遺伝率」という言葉で2倍以上の開きがある。著者らは、パーソナリティ研究の分野において研究デザインが遺伝率推定の調整変数になることを実証的に確認した最初の報告だとしている。出版バイアスを考慮しても結論は変わらなかった。

正直、この開きのほうが.40という数字より印象に残った。「遺伝率4割」と単独で言い切られると、生まれつき4割は決まっているように聞こえる。実際は測り方次第で2割にも5割近くにもなる推定値で、しかも遺伝率は集団のばらつきを説明する指標だ。あなた一人がどこまで変わりうるかを表す数ではない。性格が動く範囲は性格は変えられる?で別に整理した。

「神経質は体に悪い」との距離の取り方

神経症傾向は、健康研究の文脈で繰り返し登場する。2009年にLaheyが『American Psychologist』に書いたレビューは、この特性が多くの精神疾患・身体疾患、それらの併存、そして精神科および一般の医療サービス利用頻度の、頑健な相関因子であり予測因子だと整理している。生活の質と寿命の予測因子でもあるように見える、とも述べている。

ここは慎重に読みたい。予測因子であることと原因であることは別だ。予測はあくまで集団の平均の話で、「神経質な人は寿命が短い」と個人に当てはめられる形の結論ではない。レビュー自体、機序の解明を今後の課題として挙げている。

それでも、無視していい話でもない。不安や落ち込みが強くて日常に支障が出ているとき、あるいは体の症状が続くときは、性格の問題として一人で抱えないほうがいい。心療内科や精神科、職場の産業医や相談窓口が入口になる。厚生労働省のこころの耳に相談先の情報がまとまっている。心配が絶えないほうの成分については心配性は性格?も参考になるはずだ。

動かせるのは「性格」より、困っている部分

神経質さを丸ごと直そうとするのは、たぶん筋が悪い。四つを兼任している言葉を相手にしているのだから、どこに手を入れているのか自分でも分からなくなる。代わりに、成分を一つ選んでみる。三つめの「ミスを引きずる」がいい例だ。

2022年、Gallowayらは完璧主義を対象とした認知行動療法(自助形式と対面の両方を含む)のランダム化比較試験15件、参加者912人(平均年齢23歳)をメタ分析した。対照条件と比べて、完璧主義の指標の下がり方が大きかった。臨床的完璧主義でg=0.87(95%信頼区間0.70〜1.04)、ミスへの懸念でg=0.89(0.71〜1.08)、個人的基準でg=0.57(0.43〜0.72)。副次的な指標も動いていて、うつでg=0.60、不安でg=0.42、摂食障害でg=0.61。出版バイアスは検出されなかったと報告されている。

ここは数字だけ取り出すと危ない。著者ら自身が限界として、含まれた試験の数が少ないこと、そして積極的治療との比較がないことを挙げている。つまりこれらの効果量は、待機群や無治療との比較が中心の条件下で出た値で、上振れしやすい。

だから「神経質が治る」という話ではまったくない。完璧主義という限定された成分に、限定された手法と限定された比較で介入した結果だ。それでも、抽象的な性格ではなく具体的な困りごとを的にすると動く余地が出てくる、という方向は見えると思う。日常のレベルの話は完璧主義を手放すにまとめた。

折り合いのつけ方

  • 「神経質だね」と言われたら、どの成分の話か聞き返す。相手も分けていないので、聞くと止まる
  • 揃えたい欲求と、揃わないと不安になることを分けて数える。前者は好みだ。後者だけが困りごとになりうる
  • 細かさが価値になる場所を選ぶ。校正、検査、設計、経理。ずれに目が行く性質を歓迎する仕事はいくらでもある

よくある質問(FAQ)

神経質な性格は治せますか?

「神経質」が指すものが一つでないので、まるごと治す/治さないという問いは立てにくいと思います。成分を絞ると話は変わります。ミスへの引きずり(完璧主義)については、Gallowayらのメタ分析で、認知行動療法を受けた群のほうが対照条件より完璧主義の指標の下がり方が大きいと報告されています(臨床的完璧主義でg=0.87)。ただし試験数が少なく、積極的治療との比較がないという限界が著者ら自身から示されています。一方、揃えたい・気になるといった好みの部分には、そもそも治す対象と考える必要がないものもあります。

神経質なのは生まれつきですか?

VukasovićとBratkoのメタ分析では、遺伝率は約.40と推定されました。これは神経症傾向単独の値ではなく、パーソナリティ特性全体の平均です。しかも双生児研究では.47、家族・養子研究では.22と、研究デザインによって大きく動きます。また遺伝率は集団内のばらつきを説明する指標で、個人がどこまで変わりうるかを示す数値ではありません。「生まれつきだから無理」の根拠にはなりません。

神経質だと病気になりやすいのですか?

Laheyのレビューは、神経症傾向が多くの精神・身体疾患やその併存、医療サービス利用頻度の頑健な予測因子だと整理しています。ただし予測因子であることは原因を意味せず、集団の平均の話です。個人の見通しを決めるものではありません。症状が続くときは、性格の話として片づけずに医療機関へ相談してください。

「神経質」と「心配性」「繊細」はどう違うのですか?

日常語としては重なりますが、研究上は別々の尺度で測られてきました。心配や落ち込みの起きやすさは神経症傾向として、音や光などの刺激の受け取りやすさは感覚処理感受性として、それぞれ別の系譜で研究されています。ただし感覚処理感受性は、1997年にAron夫妻が提案した時点で社会的内向性や情動性とは「部分的に」独立していると報告されたもので、完全に別物として切り離せるわけではありません(→用語辞典)。NagelらのGWASメタ分析では、神経症傾向の遺伝的シグナル自体も「抑うつ的な感情」と「心配」の二つの下位クラスタに分かれることが示されました。一語で束ねるほど中身は単純ではありません。

神経質でよかったと思える面はありますか?

ここは成分を分けて答える必要があります。この記事で二つめに挙げた「揃っていないと気になる」という好みの部分については、利点も不利益も、直接検証した研究は見当たりませんでした。分かっていない領域だという意味で、欠点として扱う根拠も今のところ薄いと思います。ずれや違和感に気づく速さが確認や検証の場面で機能しやすいのは、研究の裏づけより環境との相性の話です。

いっぽう三つめの「ミスや評価を引きずる」については話が別で、完璧主義は不安・うつ・摂食障害を横断する過程として研究されており、Gallowayらのメタ分析が介入の対象にしていたのもまさにそこでした。同じ「細かさ」の中に、放っておいてよい部分と、手当てが検討されてきた部分が混ざっています。


コップの向きは、今でも揃えている。やめる理由が見つからないからだ。変えたいのはそっちではなく、翌朝ぐしゃぐしゃの水切りかごを見て一瞬いやな気持ちになる、あの数秒のほうだと思う。