静かな退職、という言葉を最初に見たとき、私はうまく飲み込めなかった。辞めていないのに退職と呼ぶ。頑張らないことに名前がついている。悪口なのか、処方箋なのか、判断がつかなかった。

いまも判断はついていないのだが、少なくとも、この言葉が研究の側でどう扱われているかは調べられる。結論から言うと、世間に出回っている「50%」という数字と、学術的な定義は、そもそも別のものを指している。順に見ていきたい。

「50%」の正体

この言葉に大きな数字を与えて一気に広めたのは、世論調査会社の Gallup だった。記事自身が、この語がすでにソーシャルメディアで拡散していたと書いているので、言葉を作ったのは Gallup ではない。数字を付けたのが Gallup だ。

2022年9月に公開された Jim Harter の記事は、多くの静かな退職者(quiet quitters)が、Gallup のいう「エンゲージしていない(not engaged)」——必要最低限のことだけをやり、心理的に仕事から切り離されている人——の定義に当てはまると述べたうえで、米国の労働力の少なくとも50%がこれに当たり、おそらくそれ以上だと書いている。

根拠になっているのは、2022年6月に18歳以上のフルタイム・パートタイム従業員15,091人を対象に行われた調査だ。2022年第2四半期の内訳はこうなっている。

  • エンゲージしている(engaged): 32%
  • エンゲージしていない(not engaged): 50%
  • 積極的に離反している(actively disengaged): 18%

そして記事は、エンゲージしている人と積極的に離反している人の比が1.8対1で、これは10年近くで最も低い水準だとしている。なお Gallup は政府統計の機関ではなく、この区分は同社が自社の指標(Q12)に基づいて作っている独自の分類だ。また記事自身がページ上で「これは時点データである」と断っており、公開は2022年(2023年5月更新)なので、その後の値が同じとは限らない。

新しい現象ではなく、既存の区分の改名だった

ここが、この数字を読むときのいちばん大事なところだと思う。

Gallup の記事は、静かな退職者を自社の既存カテゴリである「not engaged」に対応するものとして位置づけている。積極的に離反している層は「loud quitters(声に出して辞めている人たち)」と呼び分けられている。

つまり「50%」は、2022年に新しく発見された何かの発生率ではない。Gallup が長年集計してきた区分の一つに、流行語の名前を貼り直した数字だ。

これは Gallup を批判したいのではなくて(記事自身がカテゴリの対応関係を明示している)、その後の受け取られ方の話である。「労働者の半分が静かな退職をしている」という文だけが独り歩きすると、この50%が新しく測られた何かのように聞こえてしまう。

実際にこの記事が示しているのは、二つの別々のことだ。ひとつは、2022年第2四半期の時点で not engaged が半数を占めるという断面。もうひとつは、2021年後半からエンゲージメントが低下し、エンゲージしている人と積極的に離反している人の比が10年近くで最低になったという変化のほうである。前者は流行語がつく前から集計されていた区分で、後者はこの時期に起きていた悪化だ。この二つを「50%が静かな退職を始めた」と一つの文に圧縮すると、どちらの意味も正しく伝わらない。

若い層については、2019年から2022年にかけてエンゲージしている割合が4ポイント下がり、積極的に離反している割合が6ポイント上がったという変化が報告されている。リモート・ハイブリッドで働く35歳未満のうち、仕事で期待されていることを明確に理解している人は40%未満だった、という数字も出てくる。私はこのあたりを読んで、静かな退職の話が実は「何を期待されているのか誰も説明していない」問題と地続きなのではないかと思った。ここは記事の主張ではなく、私の受け取り方だ。

学術側は、定義がないところから始めた

一方、研究の世界でこの言葉が扱われ始めたのは、もっと後のことだ。

2025年に PLOS ONE に掲載された Patel・Guedes・Bachrach・Cho の論文は、冒頭で率直に問題を認めている——静かな退職について、概念的に筋の通った定義も、実証的に検証された測定尺度も、文献には存在しない、と。バズワードが先に走り、測るものが後から追いかける形になっていた。

そこで著者らは、静かな退職を次のように定義した。

(1) 非自発的な離職をぎりぎり回避できる最低限の水準まで、仕事上の努力を意図的に制限すること。そして (2) その最低限の貢献水準に対して、快適さと個人的な満足を感じていること。

この定義の(2)が効いていると思う。手を抜いているだけでは静かな退職にならない。その状態を自分で良しとしているところまで含めて定義されている。

著者らは4つの研究を重ねて尺度を作っている。実務経験の乏しいMBA学生37人による項目の分類、Prolific経由の米国フルタイム従業員985人、ソーシャルメディアとニュースレターで集めた従業員2,128人、そしてポルトガル企業の従業員1,897人を対象に、回答と企業の公開財務データを紐づけた実地調査だ。

標本の分布には触れておきたい。3つ目の2,128人について、論文の抄録と表は「worldwide(世界各地)」と書いているが、本文に列挙されている国はアルバニアからイギリスまですべて欧州(33か国)である。募集経路も欧州に本社を置く企業への一斉メールなどで、アジアは含まれていない。従業員を対象にした3つの標本のうち、米国は2つ目だけで、4つ目はポルトガル単独だ。だから「世界中で検証済み」と読むのは正確ではない。日本の職場にそのまま当てはまるかどうかは、この論文からは分からない。

最終的に残ったのは13項目で、**行動的な静かな退職(6項目)情緒的な静かな退職(7項目)**の2次元構造になった。行動面は貢献を最低限に絞る振る舞いを、情緒面はそれ以上の貢献を求められることへの強い否定的な反応を捉えている。

ここで注意しておきたいのは、これは尺度の開発と検証を目的とした研究だということ。「静かな退職をすると何が起きるか」を因果として確かめたものではない。新しい物差しができた段階、と受け取るのが正確だ。

エンゲージメントが低い=燃え尽きている、ではない

「静かな退職」と「燃え尽き」を同じ話として扱う記事は多い。だが、この2つが自動的に重なるわけではないことは、ワークエンゲージメント研究の側からはっきり言われている。

ワークエンゲージメント尺度(UWES)のマニュアルで、Schaufeli と Bakker はこう定義している——ワークエンゲージメントとは、活力(vigor)・熱意(dedication)・没頭(absorption)によって特徴づけられる、ポジティブで充実した仕事関連の心理状態である。

そのうえで彼らは、バーンアウトとワークエンゲージメントを独立に測定すべき別々の概念として扱う立場を取っている。理由は二つ挙げられている。両者が完全に負の相関を持つと期待するのはもっともらしくないこと——燃え尽きていないからといって、その人が仕事にエンゲージしているとは限らないし、逆にエンゲージメントが低いからといって、燃え尽きているとも限らない。もう一つは、同じ質問票で両方を測ってしまうと、両者の関係そのものを実証的に調べられなくなることだ。

ただし、マニュアルはそのすぐあとで「実際には、バーンアウトとエンゲージメントは実質的な負の相関を持つ可能性が高い」とも書いている。独立に測るべきだというのは理論上の要請であって、現実には両者は連動しやすい、ということだ。

この整理を静かな退職に当てはめると、「最低限しかやっていない」という一つの見た目の下に、少なくとも二つの違う状態が入りうることになる。燃え尽きて動けなくなっている状態と、意図的に線を引いて余力を残している状態は、外からはよく似て見える。もっとも、この当てはめ自体は私の整理であって、UWES のマニュアルが静かな退職について何か言っているわけではない。

燃え尽きそのものについては燃え尽き症候群(バーンアウト)とはに、仕事が合わないという感覚については仕事が向いてないと感じるときに整理してある。

静かな退職は、悪いことなのか

ここからは研究の要約ではなく、私の考えになる。

Patel らの論文は、静かな退職を組織にとって問題になりうる現象として枠づけている。それは研究の立場としてまっとうだ。組織の側から見れば、貢献が最低限に絞られることは扱うべき課題になる。

ただ、同じ振る舞いを働く側から見ると、名前が変わる。定時で上がる。担当外の仕事を引き受けない。休日に連絡を返さない。これらは、文脈によっては境界設定とも、働き方の適正化とも呼ばれてきたものだ。

おもしろいのは、尺度づくりの過程そのものが、この境目に触れていることだ。初期の候補20項目には「休日や休暇中にメールや電話を返したくない」「仕事と生活の間に厳格な線を引こうとしている」も入っていたが、どちらも最終13項目からは落とされている。前者は、行動面の項目としての評定が4.92、情緒面としての評定が4.89とほぼ同じで、どちらの次元を測っているのか判別がつかなかった。

代わりに残った行動面の6項目は、「職を失わない程度に、言われた仕事だけをやる」「支払われている以上の仕事はしない」「昇進につながるとしても追加の仕事は探さない」といったもので、どれも文言の中に「解雇されない最低限」という水準が埋め込まれている。純粋な線引きを測る項目のほうは、著者らの手で外されたことになる。

境界設定と静かな退職の違いは、外から見える行動そのものよりも、その水準の置き方と、情緒次元(最低限の貢献に満足を感じているか)にかかっている——というのが、尺度の作られ方から読み取れることだ。

私が引っかかるのは、「静かな退職」という命名そのものが、すでに評価を含んでいることだ。辞めていない人の働き方を「退職」と呼ぶ時点で、あるべき水準は最低限より上だという前提が忍び込んでいる。研究上の定義が価値中立に書かれていても、言葉のほうは中立ではない。

とはいえ、擁護一色にしたいわけでもない。Patel らの定義の(2)——最低限の貢献に快適さと満足を感じている——という条件は、自分に当てはめてみると意外と重い。私自身、仕事を絞ったときに感じたのは快適さではなく、そわそわした落ち着かなさのほうだった。あれは静かな退職ではなく、ただの疲労だったのだと思う。

働き方の好みや消耗の仕方には個人差がある。刺激や対人接触の負荷の受け取り方については内向性・外向性を、性格特性という枠組み全体の見取り図はビッグファイブ(5因子モデル)にまとめてある。ただし、どの枠組みも人を判定するための道具ではないことは付け加えておきたい。

私が使っている、粗い目安

研究は「あなたがどちらか」を教えてくれない。ここから書くのは検証された判別基準ではなく、私が自分に対して使っている雑な目安だ。

最低限に絞っている状態が自分で選び取ったものなら、たいてい他のところに使えるエネルギーが残っている気がする。仕事を早く切り上げた夜に、何かをする気力があるかどうか。休みの日に、休む以外のことができるかどうか。私はそのくらいしか見ていない。

一方、眠っても回復しない、食事が面倒になる、休日が「次の週を耐えるための充電」だけで終わる——このあたりが続いているなら、働き方の調整という枠で考えるのをいったんやめたほうがいい。産業医や医療機関、公的な相談窓口(厚生労働省のこころの耳など)に相談してほしい。名前のついた働き方の議論よりも、そちらが先だ。

そして、絞ることでしか働けない状態が何年も続いているなら、環境のほうを検討する話になる。転職の進め方は内向型・繊細な人向けの転職サイト・エージェント選びにまとめてある。ただ、辞めるかどうかを決める前に、いまの状態が消耗によるものかどうかを見ておいたほうがいい。消耗しきった状態での判断は、たいていうまくいかない。

よくある質問(FAQ)

静かな退職をしている人は本当に50%もいるのですか?

Gallup が2022年に示した「少なくとも50%」は、2022年6月に米国の従業員15,091人を対象に行った調査で「エンゲージしていない(not engaged)」に分類された割合です。Gallup 自身がこの記事の中で、多くの静かな退職者が自社の既存カテゴリである not engaged の定義に当てはまる、と書いています。つまり新しく発見された現象の発生率ではなく、以前から集計されていた区分に流行語の名前を当てはめた数字です。同じ調査ではエンゲージしている人が32%、積極的に離反している人が18%でした。なお Gallup は政府統計の機関ではなく自社指標に基づく民間調査であり、この数字は2022年時点のものです。

静かな退職と燃え尽き症候群は同じものですか?

同じではありません。ワークエンゲージメント尺度(UWES)のマニュアルで Schaufeli と Bakker は、バーンアウトとワークエンゲージメントを独立に測定すべき別々の概念として扱っています。理由として、両者が完全に負の相関を持つと期待するのはもっともらしくないこと、つまり燃え尽きていない人が必ずしもエンゲージしているとは限らず、エンゲージメントが低い人が必ずしも燃え尽きているとは限らないことを挙げています。外から見える振る舞いが似ていても、中で起きていることは違いうる、ということです。ただし同マニュアルは、実際にはバーンアウトとエンゲージメントが実質的な負の相関を持つ可能性が高いとも述べています。理論上は別々に測るべきだが、現実には連動しやすい、という整理です。

学術的には静かな退職はどう定義されていますか?

Patel らが2025年に PLOS ONE で示した定義は、(1) 非自発的な離職をぎりぎり回避できる最低限の水準まで仕事上の努力を意図的に制限すること、(2) その最低限の貢献水準に対して快適さと個人的な満足を感じていること、の2つを組み合わせたものです。この論文は、それまで概念的に筋の通った定義も検証された測定尺度も存在しなかったと述べたうえで、4つの研究を通じて13項目・2次元(行動的・情緒的)の尺度を開発しています。

定時で帰ることは静かな退職にあたりますか?

上記の学術的な定義に照らすなら、単に定時で帰ることだけでは条件を満たしません。定義は「非自発的な離職をぎりぎり回避できる最低限の水準まで努力を制限する」ことと、その水準に快適さと満足を感じていることの両方を求めているためです。

実際、初期の候補項目にあった「休日や休暇中にメールや電話を返したくない」「仕事と生活の間に厳格な線を引こうとしている」は、いずれも最終的な13項目からは外されています。残った行動面の項目は「職を失わない程度に、言われた仕事だけをやる」など、「解雇されない最低限」という水準が文言に含まれるものでした。なお、この尺度は個人を判定するために作られたものではなく、研究上で構成概念を測るための道具です。自分に当てはめて「自分は静かな退職者か」を判定する使い方は、開発の趣旨から外れます。

静かな退職は悪いことなのでしょうか?

研究はその問いに答えていません。Patel らの論文は組織にとって問題になりうる現象として枠づけていますが、これは組織側の視点からの位置づけです。同じ振る舞いが、働く側からは境界設定や働き方の適正化として説明されることもあります。ただし、最低限に絞ることでしか働けない状態が続いていて、睡眠・食事・気分に変化が出ている場合は、良し悪しの議論とは別に、産業医や医療機関に相談することをおすすめします。


「静かな退職」という言葉の一番やっかいなところは、数字と定義と語感が、それぞれ別の方向を向いていることだと思う。Gallup の50%は既存区分の名前替えで、学術的な定義はもっと狭く、語感は働く人を責める方向に傾いている。

言葉が広まる速さに、測るものが追いついていない。追いついた頃には、たぶん次のバズワードが来ている。それでも、自分がいまどの状態にいるのかは、流行語とは無関係に確かめられる。夜、仕事を終えたあとに何か一つでもやる気力が残っているか——私はしばらく、そのくらいの粗い物差しで足りると思っている。