十二月の朝、いちばん寒い時間にカーテンを開けて、五分だけ窓際に立つ。しばらくそれを続けていた時期がある。セロトニンを増やす方法を調べて、日光がいい、と書いてあったからだ。効いた実感は、正直あまりなかった。それでもやめなかったのは、やめる理由も見つからなかったからだと思う。
その後で原典を読みにいって、面食らった。「セロトニンを増やす方法」という問いの土台になっている前提——セロトニンが足りないと気分が落ちる——が、いま学術的にかなり激しく揺れている。増やし方の議論より前に、そこがまだ決着していない。
「セロトニンが減るとうつになる」の現在地
2022年にオンライン公開され、2023年に Molecular Psychiatry 誌面に載ったのが、Joanna Moncrieff らによる系統的アンブレラレビュー(複数のレビューやメタ分析を束ねて評価する形式)だ。うつ病がセロトニンの低下と関連するかどうかを、主要な研究領域ごとに整理している。
対象になったのは6つの領域で、所見はおおむねこうだった。
- 体液中のセロトニン・代謝物(5-HIAA): メタ分析はうつ病との関連を示さなかった。血漿セロトニンが低いことは、うつ病そのものよりも抗うつ薬の使用と結びついていた
- 5-HT1A受容体の結合: 一部の領域で低下という弱く一貫しない証拠。レビューはこれについて、それが元々の因果的な異常だとすれば、という条件つきで、うつ状態でシナプス間のセロトニンの利用可能性が高いことと整合する、と述べている
- セロトニントランスポーター(SERT)の結合: 弱く一貫しない低下の証拠。ただし過去の抗うつ薬使用の影響が、この領域と5-HT1A受容体の領域のいずれについても確実に除外されていない
- トリプトファン枯渇試験: 健康な人の大半では効果なし。うつ病の家族歴がある人でわずかな証拠
- SERT遺伝子との関連: 規模と質の高い2件の研究で、うつ病との関連の証拠なし
- 遺伝子×ストレスの交互作用: 質の高い研究では、遺伝子型・ストレス・うつ病の交互作用の証拠なし
著者らの結論は明快で、セロトニン研究の主要領域は、セロトニンとうつ病の関連について一貫した証拠を与えていないとし、セロトニン説は実証的に裏づけられていないと認めるときだ、と書いている。加えて、長期の抗うつ薬使用がセロトニン濃度を下げている可能性と整合する証拠があるという指摘もしている。急性の作用とは逆向きの代償的な変化が起きうる、という読みだ。
ここで慎重に線を引いておきたい。このレビューが言っているのは「セロトニン説の裏づけが薄い」であって、「抗うつ薬が効かない」ではない。薬の効果は別の設計の研究で検証される問いで、機序の説明が揺れることと臨床効果の有無は同じ土俵ではない。
この結論自体が、いま論争の的になっている
そして、このレビューは無風では通っていない。2023年に Möller と Falkai が European Archives of Psychiatry and Clinical Neuroscience に出したエディトリアル(論説)は、いくつも批判を挙げている。理論的に関連する360研究のうち採用されたのが17しかなく、その選抜の正当化が不十分であること。動物研究を除外したこと。メタ分析・系統的レビュー・個別研究という異なる水準の証拠を混ぜたこと。5-HT1A受容体とSERT結合の画像データの解釈に誤りがあること——彼らの読みでは、投薬を受けていないうつ病でシナプス後の5-HT1A受容体の利用可能性が下がることは、むしろセロトニン神経伝達の低下と整合する。さきほどの箇条書きとは逆向きの解釈だ。
そのうえで彼らは、セロトニン説はうつ病の理論的概念の一側面として、またより複雑な概念の一部として、科学的な意義を持ち続けうると述べている。うつ病は遺伝・エピジェネティクス・環境・ストレス脆弱性が絡む複雑な動的システムの不均衡であって、セロトニンはそこに関わる複数の経路のひとつだ、という位置づけだ。
だからこの記事は「セロトニン説は否定された」という立場を取らない。係争中である、というのが現時点で言えることのすべてだと思う。それでも、この係争を知ってから「増やす方法」を読むと、見え方は確実に変わる。
腸のセロトニンは、脳には届かない
ここからは、もう少し合意の取れている話に移る。
「セロトニンの9割以上は腸にある」という説明は、あちこちで見かける。これ自体は間違っていない。2016年に Nutrients で公開された Jenkins らのレビューは、中枢(脳)でのセロトニン産生は全身の合成のわずか5%にすぎず、大部分は末梢でつくられていると整理している。
問題は、その先だ。血中のセロトニンと脳のセロトニンは、そのまま重ならない。さきほどの Möller と Falkai の論説が、研究を評価するとき考慮すべき点として引いている指摘のひとつに、血漿セロトニンは脳内のセロトニン濃度を反映しない、セロトニンは血液脳関門で代謝されるからだというものがある。腸のセロトニンと脳のセロトニンは、実質的に別のプールとして動いている。脳のほうは、材料であるトリプトファンを取り込んで自前で合成する。
つまり「腸を整えればセロトニンが増えて気分が上がる」という説明は、少なくともセロトニンが腸から脳へ移動するという意味では成立しない。腸と脳のあいだに関係がないという話ではなくて、その関係はセロトニンの直接の受け渡し以外の経路で議論されている、ということだ。
ドーパミンについても似た構図の誤解が広く流通していて、そちらはドーパミンを増やすと、何が増えるのかで扱った。用語としての整理はドーパミンや報酬系にまとめてある。
トリプトファンを食べれば、脳のセロトニンは増えるのか
脳が自前で合成するなら、その材料であるトリプトファンを摂ればいい——という発想は自然だ。バナナ、乳製品、大豆製品。「セロトニンを増やす食べ物」のリストはたいていここに行き着く。
Jenkins らのレビューは、この経路が思ったより込み入っていることを示している。まず、私たちのトリプトファンの多くは血漿アルブミンに結合していて脳へ輸送できない、というのが一般に受け入れられている見方だとレビューは書く。さらに、トリプトファンが脳へ入るときに使うトランスポーターは他のアミノ酸と共有されていて、取り合いになる。つまり食品に含まれるトリプトファンの量だけを見ても、脳に届く量は決まらない。
同レビューは前置きとして、高GI・高GL(グリセミック負荷)の食事もトリプトファンの利用可能性を高めるという報告にも触れている。ただしこれはレビューが検討・統合した知見ではなく、冒頭で参照している健常者対象の単一試験の結果だ。「炭水化物を摂れば脳のセロトニンが増える」と読める強さの証拠ではない。それでも、トリプトファンが多い食品を選ぶという発想だけでは足りない、という向きの示唆にはなる。
逆向きの検証も一応ある。食事からトリプトファンを一時的に枯渇させる実験(急性トリプトファン枯渇)だ。もしセロトニンの材料が減って気分が落ちるなら、この操作で落ち込むはずだが、Moncrieff らのレビューの整理では、健康な人の大半では気分は下がらなかった。効果が見えたのはうつ病の家族歴がある人などの小さな部分集団で、その証拠も弱い。
材料を減らしても、たいていの人は変わらない。この非対称は、覚えておくと役に立つ。食事とメンタルの関係そのものはHSPの食事と栄養|メンタルと食の研究を整理で別に扱っている。
日光と季節——脳にいちばん近い測定
「セロトニンを増やす方法」で日光がよく挙がる根拠を、原典まで辿ると、ひとつの研究に行き着くことが多い。2002年に The Lancet に載った Lambert らの報告だ。
この研究は、101人の健康な男性の内頸静脈から採血している。脳から出てくる血液を直接採るという、ヒトではなかなかできない設計だ。そこに含まれるセロトニン代謝物の濃度から、脳でのセロトニン代謝回転を推定した。
結果は、脳のセロトニン代謝回転は冬に最も低かった(p=0.013)。さらに、セロトニン産生の速度は、その時期の明るい日照の持続時間と正の相関を示し(r=0.294、p=0.010)、照度が上がると急に立ち上がった。著者らはこれを、季節による気分の変動や季節性感情障害の背景に脳のセロトニン放出の変化があるという考えを支持する証拠だとしている。
ただ、読み方には留保がいる。単一の研究であり、対象は男性のみ。相関係数0.294は、日照が説明する分が全体のごく一部にすぎないことを意味する。そして相関である以上、「日光を浴びればセロトニンが増える」という介入の因果を直接示したものではない。
それでも、この記事で扱う中ではいちばん脳に近いところを測った研究であることも確かだ。私自身は、冬の朝に窓際に立つ習慣をやめていない。効くと証明されたからではなく、これくらい弱い根拠でも続けるコストがほぼゼロだから、という理由で。朝の光と体内時計の関係は朝型・夜型はどこまで生まれつきかのほうが実用的かもしれない。
サプリメント(5-HTP・トリプトファン)はどうか
材料を直接摂るタイプのサプリメントについては、Cochrane のレビューがある。Shaw、Turner、Del Mar による、トリプトファンと5-HTPのうつ病への効果の検討だ。
数字が印象的だった。108件の試験が見つかったが、質の基準を満たして組み入れられたのは2件、患者64人。この2件のプールでは、プラセボより良好という結果になっている(Peto オッズ比 4.10、95%信頼区間 1.28–13.15)。しかしレビュー自身が、証拠の質が結論を出すには不十分だと明記している。
安全性についても書かれている。副作用としてめまい・吐き気・下痢が挙がり、さらに致死的になりうる好酸球増多筋痛症候群(EMS)との関連は解明されていないとされている。著者らの結論は、有効性と安全性が確立された抗うつ薬が存在する以上、これらの臨床的な有用性は現時点で限定的だ、というものだ。
106件が質の基準に届かなかったという事実は、「効かない」の証拠ではない。「まだ判定に足る材料がない」の証拠だ。この二つは違う。ただ、サプリメントを選ぶ側の立場で言えば、判定に足る材料がないものに、自分の体で賭けるという構図であることは変わらない。
気分の落ち込みや不安、眠れない状態が二週間以上続いて生活に支障が出ているなら、サプリメントを試す前に医療機関に相談してほしい。服薬中の方は特に、抗うつ薬と5-HTPの併用にはセロトニン症候群のリスクが指摘されている。どこに相談すればいいか分からないときは、こころの耳(厚生労働省)に相談窓口がまとまっている。
私が「増やす」という言い方をやめた理由
ここから先は研究の要約ではなく、私の整理だ。
日光を浴びる、体を動かす、ちゃんと寝る。この記事で出てきた材料を並べても、結局そこに戻ってくる。ただ、戻ってくる理由が変わった。
前は「セロトニンが増えるから」だった。いまは、そうは言わない。厚生労働省の健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023は、成人に強度3メッツ以上の身体活動を週23メッツ・時以上行うことを推奨しているけれど、その根拠は特定の神経伝達物質の増減ではない。日光や睡眠も同じで、セロトニンを経由しなくても十分に推奨できる。
「セロトニンを増やすため」と言った瞬間、効果の判定が難しくなる。増えたかどうかを自分で測れないから、効いている実感がないと「やり方が間違っているのでは」と探し続けることになる。私がやめたのは、たぶんその探索のほうだ。
窓際の五分は、いまも続けている。セロトニンのためではなく、冬の朝にいちばん明るい場所に立っておくのは悪くない、という理由で。
よくある質問(FAQ)
セロトニンが減るとうつになる、というのは間違いなのですか
「間違い」と断じるには早く、いま論争の最中です。Moncrieff らのアンブレラレビュー(2022年オンライン公開、Molecular Psychiatry 2023年掲載)は、体液中の代謝物、受容体結合、トランスポーター、トリプトファン枯渇、遺伝子関連など主要6領域を検討し、セロトニンとうつ病の関連について一貫した証拠はないと結論しました。一方でMöller と Falkai による2023年のエディトリアルは、360の関連研究のうち17しか採用していない点や動物研究の除外、画像データの解釈を批判し、セロトニン説はより複雑な概念の一部として科学的な意義を持ち続けうると述べています。どちらか一方を採用するより、決着していない論点として扱うのが正確です。
腸内環境を整えるとセロトニンが増えて気分が良くなりますか
セロトニンが腸から脳へ移動するという意味では成立しません。2016年の Nutrients のレビューによれば、中枢でのセロトニン産生は全身の合成の5%にすぎず、大部分は末梢でつくられます。そして Möller と Falkai の2023年のエディトリアルは、研究評価にあたって考慮すべき点として、血漿セロトニンは脳内のセロトニン濃度を反映しない、セロトニンは血液脳関門で代謝されるからだ、という指摘を引いています。腸と脳のセロトニンは別のプールとして扱われ、脳は自前でトリプトファンから合成します。腸と脳の関係そのものを否定する話ではなく、経路がセロトニンの直接の受け渡しではない、ということです。
バナナや乳製品を食べればセロトニンは増えますか
食品中のトリプトファン量だけでは決まりません。同じレビューは、トリプトファンの多くが血漿アルブミンに結合していて脳へ輸送できないというのが一般に受け入れられた見方であること、脳への輸送口を他のアミノ酸と取り合うことを挙げています。また同レビューは冒頭で、高GI・高糖質負荷の食事もトリプトファンの利用可能性を高めるという報告に触れていますが、これはレビューが統合した知見ではなく参照された単一試験の結果です。加えて、逆にトリプトファンを枯渇させる実験でも健康な人の大半で気分は下がりませんでした。「この食品でセロトニンが増える」という単純な図式は支持されていません。
日光を浴びるのは効果がありますか
Lambert らが2002年に The Lancet で報告した研究では、健康な男性101人の内頸静脈血から、脳のセロトニン代謝回転が冬に最も低く(p=0.013)、セロトニン産生速度が明るい日照の持続時間と正の相関を示した(r=0.294、p=0.010)ことが示されています。ただし単一の研究で、対象は男性のみ、相関係数も大きくはなく、日光を浴びる介入の因果を直接示したものではありません。「有望だが確定していない」という強さの証拠です。
5-HTPやトリプトファンのサプリメントは飲んでいいですか
Cochrane のレビューでは、探索で見つかった108件の試験のうち質の基準を満たしたのは2件・64人のみで、プラセボより良好という結果は出たものの(Peto オッズ比 4.10、95%信頼区間 1.28–13.15)、レビュー自身が証拠の質は結論を出すには不十分としています。副作用としてめまい・吐き気・下痢が挙がり、致死的になりうる好酸球増多筋痛症候群との関連も解明されていません。著者らは、有効性と安全性が確立された抗うつ薬がある以上、現時点での臨床的有用性は限定的だとしています。特に抗うつ薬を服用中の方は自己判断で始めず、医師や薬剤師に相談してください。